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【学長通信】「主食」は変わるか?

学長通信

農林水産省の定義では、主食とは「人々が日常的にもっとも多く利用する食べ物のこと」で、代表的な主食としては、「米」「パン(小麦)」「ジャガイモ」「トウモロコシ」「豆」などがあります。主食は、それぞれの土地の気候や風土に沿って栽培しやすい穀物がなることが多く、アジアでは「米」、ヨーロッパでは「小麦」が代表的です。ただし、アフリカや南米の多くの地域では、「豆」や「イモ」が主食となっています。

日本の主食は、いうまでもなく米です。米は、生産も消費も圧倒的にアジアで、米の世界総生産量に占める輸出量の割合は僅か7%程度、貿易商品としてはthin market(薄く小さい市場)といわれています。FAO(国連食糧農業機関)のデータ(2019年)から、世界の米生産量、消費量を国別にみると、年間生産量上位5位は、中国、バングラデシュ、ベトナム、インドネシア、タイ、1人当たり年間消費量上位5位は、バングラデシュ、カンボジア、ラオス、ベトナム、ミャンマーです。日本の年間生産量は中国の20分の1以下、1人当たり年間消費量はバングラデシュの3分の1以下で、どちらもベストテンに入っていません。

米と比較すると、小麦は世界商品で、生産に対する輸出入の比率ははるかに大きくなっています。小麦は、「パン」の原料となる重要な穀物で、世界の主食のひとつです。米と同じように、生産量、消費量をみると、生産量上位5位は、中国、インド、ロシア、アメリカ、カナダ、1人当たり消費量上位5位は、チュニジア、トルクメニスタン、アルジェリア、アゼルバイジャン、モロッコとなります。国別消費量でみると、中国、EU、インド、ロシア、アメリカの順になります。こちらも、日本はベストテンに入っていません。ただし、アメリカには主食という概念はありません。パンも野菜も米も、主菜(main dish)に対する前菜、副菜ととらえられています。

長く米を主食としてきた日本ですが、最近では、主食としてのパンの割合が高くなっています。農林水産省の「食品産業動態調査」によれば、小麦粉ベースのパン生産量は、ゆるやかながら持続的に上昇しており、菓子パン・フランスパン・調理パンに比べて、食パンの需要が増加しているところに近年の特徴があるといわれています。最近のJタウン研究所(2021.04)、スリーエム株式会社(2022.03)などの調査でも、朝食で「パンとご飯、どちらを摂るのか」との設問に対して、ご飯50.2%、パン49.8%(Jタウン)、ご飯28%、パン56%(スリーエム)となっており、若年層の米離れや食生活の欧米化のなかで、パンは「第2の主食」から、さらに地位を高めているといえそうです。

パンいわゆる白パンの原料は小麦粉です。日本で、小麦が栽培されるようになったのは4、5世紀の頃だそうですが、そこで得られる小麦粉は「中力粉」という種類でした。高温多湿という日本の気候では、強力粉の原料としての硬質小麦の栽培が困難なためでした。日本の小麦は、うどんやそうめんには適しているものの、パンやマカロニには不適だったのです。小麦粉に水を入れて練って、発酵させて窯で焼くパンが日本で作られるようになったのは、開国・明治維新以後ことでした。横浜居留地での製造が嚆矢(こうし)とされています。当初は、発酵の酵母は、酒麹種かホップ種で、機械生産が可能となるイーストが使われるようになったのは、大正期に入ってからのことでした。

明治期から大正期にかけてパン食を推進したのは、軍隊それも海軍でした。戦時の携行食として、さらに脚気対策として有効であるというのが海軍の言い分で、1885(明治18)年に、パンを主食として採用したのでした。陸軍がパン食の導入に踏み切ったのは、1920(大正9)年のことで、脚気の原因がビタミンB1の不足によるとして鈴木梅太郎がオリザニンを発見して以降のことでした。昭和期に入ると、日本は、満州事変、日中戦争と、戦線を拡大します。統制経済が進行し、コメ不足が深刻化するなかで、「代用食」としてパンが重視されるようになります。こうしてパン生産は急速に拡大するのですが、連合国側からの小麦粉輸入が次々に停止されるなかで、パン生産も縮小を余儀なくされます。

第二次大戦後に状況は一変します。GHQ/SCAP(連合国軍総司令部)による占領管理下、ガリオア・エロア基金、ララ物資、ケア物資、ユニセフなどの対日援助が展開され、小麦、砂糖、脱脂粉乳などが供給されました。占領終結後も、アメリカのPL480(余剰農産物処理法)により大量の小麦が流れ込みます。パン食が奨励され、1950(昭和25)年には、8大都市の小学校で完全給食が実施されます。ここで、政府は「学童に対する給食は原則としてパン給食とする」ことを閣議了解とし、その旨をGHQ/SCAPに提出します。まず、コッペパンと脱脂粉乳、次いで1960年代後半には、スライス食パンと瓶入り牛乳が学校給食の定番となったのでした。

こうして、戦後、GHQ/SCAPによる食糧援助と学校給食によって、パン食が急速に普及していきます。戦後占領下では、輸入小麦は統制商品でしたから、パンメーカーは、政府管理の小麦を製粉会社が製粉し、その小麦粉を使用してパンを製造する委託加工業者となります。このため、占領下にいくつかの大規模パンメーカーが誕生し、統制解除とともに猛烈な販売競争が展開されるようになります。

1960年代には、パンの種類も豊富化します。マフィン、バゲット、パイ、デニッシュ、黒パン、コーンブレッドなどが並び、調理パン(カレーパン、焼きそばパンなど)、サンドイッチ、ハンバーガーも登場します。パンは、あんパン、ジャムパン、クリームパンといった子供の「おやつ」、コッペパン、食パンの「学校給食」から、大人の「軽食」へと進化します。パンの販売形式も、従来の配送されたパンを陳列棚に並べる販売形式から、オーブンを客の見える所においてパンを焼くオーブンフレッシュ形式、トレーとトングを持って棚から好きなものを選ぶ販売形式、デパートやスーパーの内部に店を置くインストアベーカリーなど多様化が進みます。

現在では、パンは日本人の食生活のなかに完全に定着し、もう一つの主食といっていい位置を占めるまでになっています。世界でもっとも多様な食生活、雑食生活にあるといわれる日本の食生活。パンの主食化を通して、改めて日本の食文化を考えてみたいと思いました。

学長  伊藤 正直