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【学長通信】公文書管理のあり方をめぐって

学長通信

先月に続いて文書館の話をもう少し。文書館のなかで大きな位置を占めているのは公文書館です。公文書とは、国や地方自治体などの行政機関が行う諸活動やその結果として生まれた歴史的事実の記録をいいます。このうち国や独立行政法人の記録を管理・保存・利用するための施設が国立公文書館で、「行政文書等の適切な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適切かつ効率的に運用されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにする」(「公文書管理法」2009年7月法律第66号)ことが、その目的とされています。

公文書館は、現在、世界の多くの国に設置されていますが、日本の公文書管理法が規定するような意味での公文書館が誕生したのは、近代に入ってからのことでした。欧米で最も早かったのはフランスで、フランス革命の翌年1790年に開設されました。自らの施策の民衆への告知と、施策の保管・維持が設立の目的でした。イギリスの公文書館(The National Archives, TNA)設立はフランスに遅れること約半世紀の1838年、そこには11世紀以来のイギリスの内政と外交に関わる膨大な公文書類が保管されています。ロンドン郊外の王立植物園(キュー・ガーデン)の一角に建つ白亜の建物が現在のTNAで、その保有資料は、政府関係者、研究者だけでなく、広く一般に公開されています。

アメリカでは1934年に公文書館法が制定され、公文書館(National Archives and Records Administration, NARA)専用のビルがワシントンD.C.に設置されました。ここには、「独立宣言書」のほか「権利章典」、奴隷売買契約書、移民記録、従軍記録、外交文書、連邦各省庁の記録が保管・管理されています。その後1994年にワシントンD.C.郊外のメリーランド州カレッジパークに新館が設置され、新館には、第一次世界大戦以降の諸資料や、占領行政関係資料、写真や映像フィルムなどが保管・管理されることになりました。日本占領期のGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官)文書もここにあります。

アジアにも公文書館は広く存在します。中国では歴代王朝が、前代王朝の正史を編纂(へんさん)する役割を負うこととされてきたため、政府文書の系統的保管が伝統となっており、近代中国の公文書館もそうした枠組みを引き継ぐ形で発足しました。現在、中華人民共和国には、明清代の公文書を保管する第一歴史档案(とうあん)館、中華民国期の公文書を保管する第二歴史档案館、1949年以降の公文書や中国共産党関連文書を保管する中央档案館の3館が、公文書館として設置されています。韓国では、1969年に政府記録保存所が開設され、植民地時代の旧朝鮮総督府文書と韓国政府文書を系統席に整理・保管する体制が整備され、2004年に国家記録院と改称され、現在に至っています。

東南アジアの公文書館も独立以後続々と開設されました。1945年に独立したインドネシアは1950年、1957年に独立したマレーシアは1957年、1965年に独立したシンガポールは1968年に、それぞれ国立公文書館を開設しています。また、唯一独立を維持してきたタイでも1952年に国立公文書館を開設しました。長い植民地統治とその後の南北分断、ベトナム戦争を経験したベトナムでは、1963年に、国立公文書センターがフランス植民時代のハノイ中央文書館を引き継ぐ形で開設され、その後、第二次大戦後の南べトナム政府文書や1976年以降の南部地域公文書を保管する第二国立公文書センターがホーチミン市に、同じく第二次大戦後の北ベトナム政府文書や1976年以降の北部地域文書を保管する第三国立公文書センターがハノイ市に開設され、この3館で公文書の保管・管理が行われています。

こうした世界の公文書館の歴史と比較すると、わが国の公文書館が開設されたのは、かなり遅くなってからで、1971年のことでした。国立公文書館設置の要望は、1959年の時点で、日本学術会議会長から内閣総理大臣に勧告が出されていたのですが、設置まで12年かかったのです。国立公文書館は、1987年に公文書館法、1999年に国立公文書館法が制定され、国の各機関が所蔵している公文書などの保存と利用(閲覧・展示など)に関する責務を果たす施設として、正式に位置付けられるようになりました。また、1998年にはつくば研究学園都市内に、つくば分館を設置して、書庫等の拡充を行い、公文書収集の条件を拡張しました。さらに、2001年には、国立公文書館の組織としてアジア歴史資料センターを開設し、国立公文書館および外務省外交史料館、防衛省防衛研究所図書館などの国の機関が保管するアジア歴史資料をデータベース化し、インターネットなどを通じて情報提供を行うようになりました。

2001年の情報公開法、2011年の公文書管理法の施行により、日本の公文書管理体制は、21世紀に入って、制度的にはようやく一定整備されました。しかしながら、上に述べた欧米やアジアの公文書管理体制に比べると、いまだにかなりの立ち遅れがみられるといわざるを得ません。例えば、職員数だけを見ても、日本の国立公文書館(188人)は、アメリカ(3112人)の17分の1、ドイツ(790人)の4分の1、イギリス(600人)、フランス(501人)の3分の1、韓国(471人)と比べても半分以下ですし、公文書の収容能力でも、日本(64㎞)は、アメリカ(1400㎞)の22分の1、韓国(367㎞)の6分の1、フランス(350㎞)、ドイツ(330㎞)の5分の1、イギリス(200㎞)の3分の1にすぎません(2018年現在、国立公文書館「アーカイブズ」69号)。さらに、情報公開の面でも、重要公文書の公開ルール、例えば、作成後30年経てば公開するという「30年ルール」が、多くの国で定められ、期間短縮が進められているのに、わが国では、この原則は全く定着しておらず、公文書移管の権限も公文書館側ではなく、作成官庁側にあります。

じつは、ここにあげたほとんどの公文書館に、私は過去何回も、資料収集を目的として訪問しました。また、各国公文書館加盟NGOのICA(国際公文書館会議)の世界会議(ICA世界大会)、これは4年に1回開催されているのですが、この2008年世界大会(クアラルンプール)に参加し、報告をしたこともあります。毎回、2,000人以上が集まる大規模な大会です。こうした個人的な体験からも、日本の立ち遅れを痛感しました。

情報公開法は、「行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務」(情報公開法総則)が政府にあるとしています。公文書管理法は、公文書は「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」であり「主権者である国民が主体的に利用し得るもの」(公文書管理法総則)と規定しています。この間、これらの原則から背馳(はいち)する事例が多々見られる現状を一刻も早く克服し、法の精神に沿った運用がなされることを期待したいと思います。

学長  伊藤 正直