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【学長通信】赴日留学生予備学校の思い出

学長通信

四半世紀前の1994年、3カ月弱中国東北部の長春に滞在したことがあります。初めての中国訪問でした。長春の東北師範大学に付設されている中国赴日留学生予備学校で、日本留学を予定している中国人留学生に「専門日本語」(私の担当は経済学でした)を教えることが、訪中の目的でした。


中国赴日留学生予備学校は、日中両国政府の合意に基づいて1979年にスタートしました。きっかけは、前年78年に鄧小平が清華大学で行った演説といわれています。下がその演説の一部です。


「留学生派遣数の増加、そして自然科学を主とすることに賛成する。10人とか8人を派遣するのではなく、幾千幾万人を派遣しよう。教育部は検討してほしい。いくらお金を使っても無駄にはならない。これは5年以内に成果が現れ、科学技術水準を高める重要な方法となる」(王雪萍『華僑華人研究』6号より引用)


この演説に基づいて、中国政府は西側諸国への留学生大量派遣政策を決定し、西側諸国に相当数の留学生受け入れを要請します。これに日本政府も協力することになり、中国赴日本留学生予備学校が設立されました。


予備学校が日本ではなく、また、北京や上海でもなく、長春に設置されたのは、次のような理由からとされています。第一に、当時の中国の学制のままでは、留学予定者が日本の大学に必要な12年の中等教育の修了という要件を満たしておらず、要件を満たすために準備教育を行う必要があったこと、第二に、日本に予備学校を設置すると、中国政府や留学生に膨大な費用負担を強いること、第三に、当初予定されていた北京、上海には、日本語のできる中国人講師が十分存在しなかったこと。こうして中国全土から留学希望者を長春に集め、1年間の予備教育を行い、最終試験に合格したものを日本の大学に派遣するという予備学校がスタートしました。


欧米諸国には、主として研究者の受け入れが要請されたのに対し、当初、日本に要請されたのは学部学生の受け入れでした。しかし、中国側のこの方針は5年ほどで転換され、その後も、さまざまな変遷を経たのち、1990年からは、日中両国政府の合意に基づいて、日本の大学院博士課程に派遣する留学生の準備教育が柱となりました。


私が派遣されたのはこの時期で、長春で受講生と対面すると、①受講生の圧倒的多数は自然科学系、とくに工学系で、それぞれ研究課題を持ち、日本の大学院でそれを発展・深化させようとしている、②そのために日本語を学び始めたものが大多数、③実際には、すでに中国の各大学で助手、講師、助教授の身分を有しているものが相当数いる、などがわかりました。この年度の受講生は80人、全員が学寮での寄宿生活で、家族を故郷に残している者も結構いました。受講生の研究領域を見ると、金属・無機材料、土木、建築専攻が22人、機械、電気、情報科学専攻が21人、生物、医学、化学専攻が27人、文科系が10人でした。


当時は、基礎日本語前期派遣教員は国際交流基金が、基礎日本語後期・専門日本語派遣教員は文部省が決めており、前期6カ月の基礎日本語は、中国人講師と国際交流基金派遣講師が担当し、後期6カ月の基礎日本語は東京外国語大学の教員3人、並行して開かれる2カ月強の専門日本語は、理系は東京工業大学の教員8人、文系は、東京大学の教員2人が担当しました。その後、派遣教員の決定方法については、さまざまな変遷を経たようで、2019年の同校設立40周年記念式典のウェブを見ると、2015年からは、岡山大学が幹事校となっているとのことです(岡山大学ウェブページ)。


予備学校でのプログラムがすべて修了し、帰国した後、『1994年度予備学校報告書および1995年度ガイドライン』を作成して、文部省に提出しました。当時は、一方で、1989年の天安門事件の余波が残っている反面、1992年の鄧小平の「南巡講話」によって市場経済化の促進、開放政策への舵切りが急速に進展している時期でもありました。そうはいっても、外国人は原則友諠商店でしか買い物ができなかったり、人民元と兌換元が並行していたり、公園や劇場への出入りは中国人料金と外国人料金の二本立てであったり、現在の中国とは異なっている部分がかなり残っていました。


だからこそ、というべきか、にもかかわらず、というべきか、こうした環境の中でも、受講生たちの勉学意欲は極めて高く、毎日の講義は熱のこもったものになりました。上に見たように、大部分の受講生が理科系でしたから、私の担当した「経済学」は、一般教養とならざるを得ませんでしたが、それでもほとんどの受講生は、熱心かつ意欲的に講義を受け、質問も活発でした。この状況は現在まで続いており、赴日留学生予備学校の受講生は、2019年の40周年までに15,000人を超えたと記されています。


こうした中国の動向と比較すると、21世紀に入って、日本は内向きの傾向を強めているようです。日本人の海外留学生数、特に学位取得を目的とした長期留学が減少を続けているからです。文科省調査によれば、6カ月未満の短期留学者は増加傾向にあるものの、1年以上の留学者数はずっと横ばいです。正規の大学在籍者数を基準とするOECD調査では、日本人留学生数は2004年の約83,000人をピークに減少に転じ、最近では約55,000人と30%以上の減少を示しています。


コロナ禍という状況の下で、今、留学問題を語ることは難しいかもしれません。しかし、四半世紀前の中国人留学生の明るい意欲に満ちた顔を思い出しながら、より多くの若い人たちが世界に目を向け、社会や文化の多様性を知り、研究する喜びを知ってほしい、そうした想いを強くしました。


学長  伊藤 正直