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【学長通信】動物の言葉、ヒトの言葉

学長通信

『新約聖書』(「ヨハネ福音書」)は、「はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり、言葉は神であった。万物は言葉によって成り、言葉によらず成ったものはひとつもなかった。言葉の内に命があり、命は人を照らす光であった」と述べています。言葉こそがすべての始原であり、人間だけがその言葉により成りたっているというのです。

こうした考えは、ながく共有されてきました。しかし、20世紀後半以降、動物の認知やコミュニケーションに関する研究が進むなかで、多くの動物たちが「言葉」をもち、多様なコミュニケーションを取っていること、「併合」(二つの語をひとつのまとまりにすること)する能力をもっていることなどがわかってきました。同時に、人間の言語習得、言語発達についての研究も、近年急速に進展しました。

最近出版された『動物たちは何をしゃべっているのか?』(山極寿一・鈴木俊貴著、集英社、2023年)は、この領域の最新の知見を、著者二人が、とてもわかりやすく語りあっています。著者のひとり鈴木俊貴は、「シジュウカラという野鳥を対象に、鳴き声の意味や役割について、17年以上かけて調べてきた。長いと年に8カ月もの間、長野県の森にこもり、日の出から日没までシジュウカラを観察」してきた人です。もうひとり山極寿一は、よく知られているように、京都大学の元総長、ゴリラ研究の世界的権威で、「20代の頃からゴリラの群れに加わり、長い歳月をかけて彼らの行動や暮らし、社会の成り立ちを研究してきた」人です。

対談は、動物の鳴き声の多様性から始まります。シジュウカラは、天敵の種類によって鳴き声を変える、ヘビなら「ジャージャー」、タカなら「ヒヒヒ」という具合に。サバンナモンキーも、見つけた天敵、ヒョウ、ヘビ、ワシによって異なる鳴き声を発するといいます。動物とくに鳥類の鳴き声の研究は、これまでは求愛の時が主たる対象でした。これに対し、鈴木の観察は、求愛以外の文脈での音声のやり取りに着目して進められました。その鳴き声が、意味を持っているのか、それとも単なる恐怖の叫び声なのかが、まず調べられることになります。

サバンナモンキーについての最近の研究は、特定の鳴き声が特定の天敵についてだけ発声されるわけではなかったというものです。そうだとすると、警戒の鳴き声の聞き手のサバンナモンキーは、その鳴き声からだけでは天敵の種類を特定できません。この場合は、その鳴き声は、「言葉」といえないことになります。その鳴き声が、特定の対象を単独に指し示すものとして聞き手に伝わっていないからです。

言葉によって明確にものを指し示すことができるのが、ヒトの「言葉」です。しかし、その「言葉」と、それが指し示すものとの関係は「恣意的」です。例えば、日本語で「リンゴ」と呼ぶ果物は、英語では「apple」、フランス語では「pomme」、イタリア語では「mela」と呼ばれています。どんな呼び方でもいい(これを「恣意的」といいます)のですが、日本語では「リンゴ」という言葉が、林檎という果物を指し示すシンボルとなっています。ですから、日本人は、誰が聞いても「リンゴ」という言葉から、林檎を想定することができます。サバンナモンキーの鳴き声では、これができません。

ところが、シジュウカラの場合、「ジャージャー」という鳴き声は、ヘビの場合にだけ発声され、それを聞いたシジュウカラも、その鳴き声からヘビを想定している、つまり、その鳴き声はヘビのシンボルとなっているというのです。鈴木は、いくつかの実験によってそのことを論証します。さらに、「シジュウカラは文法を持っている」ことも、鈴木は実験で示します。シジュウカラの「ピーツピ(警戒しろ)・ヂヂヂヂ(集まれ)」という鳴き声を、語順を変えたり、コガラとシジュウカラの混群の場合のそれぞれの音声を入れかえたりする実験により、シジュウカラが二つの語をひとつのユニットとして認識している(「併合」の能力がある)ことを論証しました。シジュウカラは「言葉」を発していたのです。

対談は、後半に入ると、言葉から考える人間社会、言葉と身体性の関係、現代社会のコミュニケーションのあり方に及びます。パート3のタイトルは「言葉から見える、ヒトという動物」、最後のパート4のタイトルは「暴走する言葉、置いてきぼりの身体」です。

「ヒトの言葉と他の動物の言葉を隔てる決定的な違いは、やはり目の前にないものについてどれだけ饒舌に語れるか否か」である、「目の前にないモノや出来事について話せるのは、言葉とその指示対象に関する知識を共有しているから」である、という議論を出発点に、ヒトの言語の形成・発展・システム化の特質を、動物のそれと比較して検討します。対談は、現代社会が言語に依存することで非言語的な情報を認識できなくする危険性、言語が文字化されることで、非文字情報を切り捨てる危険性を指摘し、感情や身体性を復権し、共感能力を回復させていくことの重要性を強調して閉じられます。

そもそもヒトの言葉は、動物たちの言葉と、どこが共通しており、どこが異なっているのでしょうか。また、赤ちゃんや乳幼児は、どのようにして言葉を覚え、習得していくのでしょうか。対談のなかで、言語学、認知科学、発達心理学で使われている用語、例えば、恣意性、超越性、対称性、習得可能性といった用語がでてきます。言語学・認知科学は、ヒトの言語と他の動物のコミュニケーションを区別する指標として、「コミュニケーション機能、意味性、超越性、継承性、習得可能性、生産性、経済性、離散性、恣意性、二重性」という「言語の10大原則」をあげています。

鳴き声を通じて行う動物たちのコミュニケーション機能の検討は、上述の言語学や認知科学におけるヒトの言語習得、ヒトの言語起源や発展についての研究と密接に関連して進められてきました。従来は、この「10大原則」のほとんどは動物には見られないとされてきたのですが、この通説が覆りつつあるのが現在といっていいでしょう。ヒトの言語研究の現在地については、今井むつみ・秋田善美著『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』(中公新書2756、2023年)で概略を知ることができます。あわせて読んで欲しいと思います。

学長  伊藤 正直