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【学長通信】雑誌編集という仕事

学長通信

本屋に入ると、まず目につくのは、新刊書籍、新刊雑誌のコーナーでしょう。出版不況が続くなか、書籍や雑誌の刊行点数は減少し続けていますが、それでも2021年の新刊点数は69052点、毎日200点近い書籍が刊行されています。同じ2021年の雑誌新刊点数は2536点、このうち約半分が月刊で、毎週、毎月、数多くの新刊雑誌が棚を埋めています(出版科学研究所調べ)。奥へ進むと、文庫・新書の棚、コミック・アニメ本の棚、児童書・学習参考書の棚、コンピュータ関連本の棚、文芸書・ノンフィクションの棚、各種資格試験関連本の棚、歴史書の棚などが続きます。大型書店では、法律・経済、理学・工学、医学などの専門書の棚も置かれています。

本屋に並んでいるこれらの書籍、雑誌は、すべて編集者による編集というスクリーン、編集作業を経ています。編集を辞書で引いてみると、「資料をある方針・目的のもとに集め、書物・雑誌・新聞などの形に整えること。映画フィルム・録音テープなどを一つにまとめることにもいう」(『広辞苑』)とあります。確かに、「書物・雑誌・新聞」だけでなく、「テレビや映画や音楽」でも編集は不可欠です。毎日放映されているテレビのニュース・ドラマ・ドキュメントなどは、いずれも出来事をそのまま放映しているわけではありません。映画やアニメも同じで、監督やプロデューサーが編集した上で上映されています。

編集という作業を広くとれば上に述べたようになります。しかし、編集者というと、まず思い浮かぶのは、テレビや映画や音楽の監督やプロデューサーではなく、書籍や雑誌の編集者でしょう。もちろん、書籍の編集者といっても一様ではありません。文芸書担当、学術専門書担当、児童書担当、辞書担当、それぞれの編集者にとって求められているものは明らかに違います。とはいえ、書籍の場合、編集者に求められる第一のポイントは、書き手と読み手の間をきちんとつなげること、つなげられるようにすることでしょう。どの程度、書き手サイドに立つか、読み手サイドに立つかの重心の差はあっても、この点は共通しています。

雑誌の場合は、少し違います。雑誌の内容あるいは読み手は、書籍に比べるとターゲットが細分化されています。書籍に比べ、一誌あたりの発行部数がはるかに大きい(学術雑誌を除く)ことがターゲットの絞り込みを要請しているといえるかもしれません。ちょっと数えあげただけでも、月刊総合誌、一般週刊誌、男性誌、女性誌、ビジネス・マネー誌、スポーツ誌、自動車誌、生活実用誌、食グルメ誌、旅行レジャー誌、男性コミック誌、女性コミック誌、少年コミック誌、少女コミック誌と分かれますし、女性誌はさらに、ティーンズ誌、ヤング誌、ヤングアダルト誌、ミドルエイジ誌、シニア誌、マタニティ・子育て誌、ビューティ・コスメ誌と細分化されます。雑誌の場合は、書籍編集者とは異なって、「出来事」、すなわち、時事であったり、生活であったり、文化であったり、趣味であったり、国際であったりといったさまざまの「出来事」を、いかに読み手と結びつけるかがまず求められるポイントとなるように思われます。

現在、最も売れている雑誌は『週刊文春』です。ピークの1993年には70万部台に達し、『週刊新潮』『週刊現代』『週刊ポスト』を抜いてトップに立ちました。その後、一般週刊誌は全体として退潮となり、現在は30万部から40万部の間を動いています。2012年4月から2018年7月まで同誌の編集長を務めた新谷学は、「イデオロギーよりリアリズムで戦う」「論よりファクトで勝負する」が基本方針だ、と述べています(新谷学『「週刊文春」編集長の仕事術』ダイヤモンド社、2017年)。政治スキャンダル、経済スキャンダル、芸能スキャンダルを徹底して取り上げ、文春砲と呼ばれるまでになりました。

新谷は、「毎週いいネタをバンバン取ってきて『フルスイング』する」「スクープを連発して部数を伸ばし、世の中の注目を集める」「徹底して読者目線に立つ」とも語っています。スキャンダリズムは「俗情との結託」が本質ですから、本当に上述の基本方針が貫かれたかどうかは判然としませんが‥‥。新谷編集長時代の編集体制は、部員が全体で56名、うち事件を追いかける特集班はデスクを含めて40名(社員15名、契約記者25名)、およそ8名ずつ5班に分かれ、ネタのノルマは1人5本、毎週計200本のネタがあがり、木曜日の企画会議で、掲載ネタとチーム編成が決まる、こうして毎週のトップ記事が決まっていったといいます。組織体制を強固なものにし、指揮系統を明確なものとしたことが、連続的なスクープを生み出したともいえるでしょう。

細分化された女性誌の方はどうでしょう。現在の女性誌の起点となる出来事は、1970年のan・an、翌71年のnon-noの創刊といって間違いないでしょう。戦前創刊の『婦人公論』『装苑』、戦後の『主婦の友』『婦人生活』『婦人画報』、高度成長期の『週刊女性』『女性自身』『女性セブン』など、それまでの女性誌は、男は仕事、女は家事・育児という性別役割分業の下での、妻あるいは母としての役割を前提としたものでした。

しかし、an・anとnon-noは、「アンノン族」という言葉とともに、消費する主体、旅行やファッションを楽しむ主体としての女性像をはっきりと打ち出しました。結婚と育児が女性の主要な仕事であるという観念は背景に退きました。以後、アンノンの後継誌としてのクロワッサンやMORE、カウンターとしてのJJやVERY、ティーン向けのegg、ZiPPer、CUTiE、女子大生向けのCanCam、ViViなどが次々と創刊されていきます。

バブル末期の1988年に創刊されたマガジンハウス社のHanakoは、創刊に際して「キャリアとケッコンだけじゃ、いや」をキャッチコピーに掲げました。地域限定雑誌としてスタートし、毎号、東京の「おしゃれな街」を取り上げ、グルメ・住情報、ブランド特集を組み、「ハナコ族」と呼ばれる時代を象徴する女性像を生み出しました。

Hanako編集部を舞台とする連続テレビドラマも2度放映されました。それまでの女性誌が考えなかった漫画家、画家、作家、批評家などを新しい書き手として登場させました。140社という豊富な広告料収入をベースに次々に企画を立て、女性編集部員に積極的に活躍の場を与え、世界に派遣しました(椎根和『銀座Hanako物語』紀伊国屋書店、2014年)。こうしてHanakoは、「仕事も生活も貪欲に楽しむ知的で都会的な女性」像を提示し、一時代を築きました。

これまで雑誌が提供してきた情報の多くは、現在では、SNSを通して誰もが発信できるようになりました。書籍や雑誌自体も紙媒体から電子媒体に移りつつあります。雑誌の販売金額は、1996年の1兆5633億円から2022年には4795億円へと3分の1以下まで落ち込んでいます。かつての雑誌編集のパワーとエネルギーをどうしたら引き継いでいけるのか、雑誌の歴史を振り返りながらあらためて考えているところです。

学長  伊藤 正直