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【学長通信】語ること、聞くこと、書くこと―オーラル・ヒストリーの読み方

学長通信

オーラル・ヒストリー(oral history)という言葉を聞いたことがありますか。直訳すると「口述の歴史」でしょうか。今日では、オーラル・ヒストリーは多くの領域で行われるようになり、定義することはなかなか難しいのですが、さしあたりは、「現存する人々から過去の経験や体験を直接聞き取り、それを記録として取りまとめること」、あるいは「その記録・証言をもとにした研究および調査の手法」ということができます。

インタビューの目的はさまざまですが、過去のできごとの事実関係を確認すること、そのできごとの意味づけを再構築することは、歴史学や政治学、社会学や人類学などでは共通していました。文書資料や統計的なデータを基になされてきた分析や研究では明らかにならなかった領域、明らかにできなかった限界をインタビューによって突破しようとしたのです。そして、この領域で大きな成果を上げてきたといえます。

インタビューをもう少し掘り下げてみると、その対象が、「公」(public)か「共」(common)か「私」(private)によって、その目的はかなり異なっているようにみえます。「公」すなわち政治家や官僚など公的地位にあった者への聞き取りの場合は、文字資料では残らない場合が多い政策的意思決定のプロセスを明らかにすることに重点が置かれています。「共」すなわち地域の共同体や企業社会などでの関係者への聞き取りの場合は、地域利害や労使関係などにおける種々の対抗関係の構造を明らかにすることに重点が置かれてきました。「私」すなわち生活世界の現場への聞き取りの場合は、ライフ・ストーリー、ライフ・ヒストリーを明らかにすることが課題となっています。

世界的には、オーラル・ヒストリーが社会的に位置づけられるようになったのは、第二次大戦後のこととされています。1948年にコロンビア大学にオーラル・ヒストリー・リサーチ・オフィスが設立され、大統領をはじめとする為政者層へのインタビューが精力的に実施されたこと、イギリスでも、ロンドン大学現代英国政治研究所により政治家へのインタビューが重ねられたこと、あるいはエセックス大学やナショナル・ライフ・ストーリー・コレクションによって、女性や技術者やマイノリティへのインタビューがはじめられたことが画期とされています。

じつは日本では、オーラル・ヒストリーそのものは「聞き書き」の歴史として、古くから行われていました。明治維新後には、政治学・歴史学の観点から旧幕時代の「書外の事実」を古老に聞く『旧事諮問録』が作成されました。また、篠田鉱造『幕末百話』のような庶民の聞き書きもありますし、柳田國男は普通の人々の歴史を記録する民俗学を打ち立て、その弟子である瀬川清子(元大妻女子大学教授)は、海女への聞き取りなど、女性視点による民俗世界の開拓に大きな足跡を残しました。

ただし、冒頭で定義したような意味でのオーラル・ヒストリーが日本で広がっていったのは、1970~80年代のことでした。大門は、その指標として、以下の4冊の出版をあげています(大門正克『語る歴史、聞く歴史―オーラル・ヒストリーの現場から』岩波新書1693、2017年)。歴史学(中村政則『労働者と農民』1976年)、社会学(中野卓『口述の生活史』1977年)、文化人類学(川田順造『無文字社会の歴史』1976年)、政治学(岸信介・矢次一夫・伊藤隆『岸信介の回想』1981年)。

このうち、最後の政治学、政治史の領域は、オーラル・ヒストリーの有用性について、早期から自覚的で、伊藤隆等の取り組みを引き継いだ御厨は、「公人の、専門家による、万人のための口述記録」と、オーラル・ヒストリーを定義し、聞き取りの対象を明確に限定しました。「社会に公的な影響力を持つ政治家、官僚、企業家などの『公人』は、社会に対する『説明責任』を負う。したがって同時に、『情報の公開性』と『決定の透明性』が問われている。しかも、彼らは、同時代としての『現代』と、やがて時を経て後世に判断が委ねられる『歴史』、これら双方の説明要求に応えなければならない」というのです(御厨貴『オーラル・ヒストリー』中央公論新社、2002年)。こうした観点に立って、御厨は、東京都立大学、政策研究大学院大学、東京大学先端研で、精力的にオーラル・ヒストリーを推進し、膨大なヒアリング記録を残しました。

その後、20年以上を経過するなかで、御厨は、オーラル・ヒストリーが適切に位置づけられていないのではないか、「かつて自らが作成に関与した『オーラル・ヒストリー』について、ある種のイデオロギー性を排除できなかった」のではないかとして、検討すべき課題を、①学界内から外の世界に拡大拡散してしまった「オーラル・ヒストリー」の成果をどう位置づけたらよいのか、②「オーラル・ヒストリー」クリティークをどうやったらよいのか、③「オーラル・ヒストリー」コンメンタールはどこまで必要なのか他、7つの論点を提起しています(御厨貴『オーラル・ヒストリーに何ができるか』岩波書店、2019年)。

他方、社会学や歴史学の領域では、その後、対象や領域に著しい広がりがみられ、生活世界や生活体験のさまざまの局面が「聞き取られる」ようになりました。労働現場に加え、戦争体験、引揚体験、介護、教育、ジェンダー、マイノリティなどが対象となり、オーラル・ヒストリーは、対象者の人生を聞き取るライフ・ヒストリー、ライフ・ストーリーとしての性格を強めていったように見えます。長年にわたって、この領域を主導してきた大門は、「文字史料を優先し、文字史料の枠内に聞き取りを位置づけることになると、体験を語る歴史の複雑だが豊かな過程、困難を乗り越えてようやくにして語られた内容、<現場>に含まれた身体性の回復の側面などに光をあてることはできない。体験を語る歴史の可能性を閉ざさずに開くためには、開く歴史に固有の成り立つ条件を明示し、そのこととあわせて開く歴史を叙述する必要がある」(大門、同上書)と述べています。

大門は、そうした観点に立って、3・11以降の東北の震災・震災後体験に関わる聞き取りを、編著者として、『「生存」の東北史―歴史から問う3・11』(大月書店、2013年)、『「生存」の歴史と復興の現在』(大月書店、2019年)、『「生存」の歴史をつなぐ』(績文堂、2023年)の3冊にまとめています。こちらも手に取って欲しいと思います。

学長  伊藤 正直