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【学長通信】花を楽しむ、草木を知る

学長通信

春になると、とりわけ春分を過ぎると、さまざまな草木が次々と開花を迎えます。三番町の大学校舎の道路沿いでは、3月終わりには、ゲンペイモモ(源平桃)が通りかかる人々の目を楽しませ、皆がスマホで撮影していました。私の自宅周りでは、ハクバイ(白梅)、マンサクが終わった後に、スモモ、ハナモモ、サクラが咲き、ミツマタ、チンチョウゲ、レンギョウ、ヤマブキ、コブシが続き、4月下旬の今は、ツツジ、コデマリ、オオデマリ、モッコウバラが花盛りです。

おだやかな春の日差しの中で次々に咲いては散っていく花々を見ていると、ときには、庭に植えたり、ベランダに置いたりしたくなります。花屋さん、植木屋さん、農園に出かけて、目的の花を手に入れようと思っても、その名前がわからないと困ります。そんな時役に立つのは、植物図鑑、花図鑑でしょう。

図鑑を開くと、写真あるいは写生画とともに、タイトルに学名と和名、科名・属名、原産地などが記され、さらにその特徴が説明されています。例えば、春に咲くスミレ科のコスミレ(小菫)をみると、次のようです。「コスミレ Viola japonica、科名・属名 スミレ科スミレ属 多年草、原産地 在来種、草丈 6~12㎝、花の咲く時期 3~4月、無茎種。葉は多数根生し長卵形で先は尖り、基部は心形で、裏面は淡紫色を帯びます。花は白っぽいものから淡紅色まで変化が多く、花弁の幅は狭く、唇弁に紫色の筋が目立ちます。‥‥」(金田洋一郎『山野草図鑑』、2020)。

花の学名の表記方法は、国際植物命名規約によって細かく決められており、18世紀にカール・フォン・リンネによって体系づけられたとのことです。属名は大文字で、その下は小文字で、斜字体で表すこととされています。上のコスミレViola japonicaもそうなっています。また、和名はカタカナを正表記とすることとされており、コスミレがタイトルで小菫と添書きされているのはそのためです。

初めて植物に学名を与えた日本人は伊藤篤太郎で、1888(明治21)年のことだそうですが(岩津都希雄『伊藤篤太郎 初めて植物に学名を与えた日本人』2016)、もっとも多くの植物を命名したのは牧野富太郎です。生涯に蒐集(しゅうしゅう)した標本は40万種を超え、命名した植物は、1889年にヤマトグサに学名をつけ発表して以来、新種や新品種など1500種に達しました。2023年4月から始まったNHK朝の連ドラ「らんまん」主人公のモデルです。主人公は槙野万太郎と名付けられ、神木隆之介が演じています。

牧野富太郎は、植物分類学に生涯を捧げ、「日本の植物学の父」といわれています。幕末の土佐で酒造業等を営む裕福な家のひとり息子として生まれ、早くに両親を亡くしますが、祖母の庇護のもと、幼時から士族の子弟の通う名教館(めいこうかん)に通い、そこで初めて理系の洋学に接します。維新後、名教館が小学校に変わると、すでに多くの学科を習得済みの牧野は登校拒否となってしまいます。そして、小学校中退のまま興味を持った植物の研究に没頭していきます。植物探求のためには周りを一切顧みなかったといわれた牧野の性格は、朝ドラでもくっきりと描かれています。

本格的な植物学を志した牧野は、1884年22歳の時に上京し、東京大学理学部植物学教室への出入りを許され、大学所蔵の書籍や標本に日常的に接するようになります。関東周辺の標本採集にも頻繁に出かけます。1893年に帝国大学理科大学助手となり、1912年には講師となりますが、いずれも薄給で、牧野の望む研究スタイルを続けるには到底資金が足りません。こうして植物研究のための出費がかさみ、実家の家産を使い果たし、以後、借金生活を続けることになります。

このような困難を極めた状況の中でも、牧野は精緻な植物図を収録した『大日本植物志』を刊行したり、『植物研究雑誌』を自費創刊したり、日本全国の植物関係団体で講師を務めたり、植物研究に邁進し、1940(昭和15)年には、現在でも刊行されている『牧野日本植物図鑑』を完成させます。「雑草という草はない」とは、牧野の名言です。1950年学士院会員、51年第1回文化功労者、53年東京都名誉都民、57年94歳で逝去。

植物研究以外は一切を顧みず、金銭感覚も欠如していた牧野の振る舞いにまつわる逸話は数多くあります。周囲との軋轢もしばしばでしたが、他方、その植物に対する無私の情熱への賛同者、支持者も多く、それが牧野の生涯を支えました。こうした牧野の人間関係、とくに富太郎を支えた妻寿衛子との関係については、大原富枝『草を褥(しとね)に 小説牧野富太郎』(河出文庫、2022)で知ることができます。一読を薦めます。

植物分類学という点では、もう一冊推薦したい本があります。塚谷裕一『漱石の白百合、三島の松 近代文学植物誌』(中公文庫、2022年)です。この本の冒頭に「漱石の白くない白百合」というエッセイがでてきます。夏目漱石の『それから』に登場する白百合について論じたエッセイです。「先刻三千代が提げて這入て来た百合の花が、依然として洋卓の上に載つてゐる。甘たるい強い香りが二人の間に立ちつゝあつた」。

『それから』は、これまで映画、ドラマ、絵画などで何回か取り上げられており、そこに登場する「白百合」は、すべて純白の「百合」でした。文芸評論の世界でも、この「白百合」は赤と白の対称のなかで、白のシンボルと位置づけられ、論じられてきました。純白の百合となると、鉄砲百合か鹿の子百合。映画でも絵画でも、描写されているのはこのどちらかです。「本当なのか」「漱石が描いたのは、本当に鉄砲百合、鹿の子百合なのか」、これが冒頭のエッセイの主題となりました。著者はこの問題を、それまでとは全く異なったやり方で検討していきます。それは、作中に描かれている問題の「百合」の特徴を具体的に列挙して検討するというものです。

すなわち、①花色は「白い」、②香りは「甘たる」く「強」く「重苦しい刺激」がある、③花弁は「翻る様に綻び」て「大き」い、④「北海道」で「鈴蘭」が咲く頃、東京の花屋で入手できる。この4つの特徴を兼ね備えたものが、漱石の「白百合」の正体だというのです。当時の日本で入手できる6種の百合をこの条件からチェックしていきます。鉄砲百合は、①はあてはまるが、②、③で失格、請百合、袂百合、笹百合も③で失格、残るのは、鹿の子百合と山百合であるが、鹿の子百合は④で失格、山百合は①で失格に近い。しかし、4条件に最も近いのは山百合となります。山百合は、多くの場合、地の白よりも中央に走る黄色の筋と茶褐色の斑紋の方が印象付けられる。そこでエッセイのタイトルが「白くない白百合」となったという訳です。

本書の著者は、東京大学大学院理学系研究科教授、専攻は遺伝発生学、植物学の専門家です。本人の語るところによれば、「植物好きが高じて研究者になった」とのこと。従来の人文学的な文学理論からのテキスト読解に対し、植物学の専門知に支えられた精緻なテキスト読解が、通説を見事にひっくり返しました。植物分類学に限らず学問は、地味に見えるものでもこんなに面白くなります。楽しんで勉強を続けたいと思います。

学長  伊藤 正直