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【学長通信】神話空間あるいは「行きて帰りし物語」

学長通信

『古事記』は、奈良時代の初めすなわち8世紀初めころに書かれた日本最古の書物です。稗田の阿禮(ひえだのあれ)の口誦(こうしょう)を太の安萬侶(おおのやすまろ)が筆録することで成り立ったとされています。上巻、中巻、下巻の3巻からなり、上巻は、天地の初めから神々が地上に降り立つまで、中巻は、神武天皇から應神天皇までで、その国土が天皇の天下として確立するプロセス、下巻は仁徳天皇から推古天皇までで、天皇の地位をめぐる宮廷内部のさまざまの争いが描かれています。上巻は神々の物語、中巻は神々と人との物語、下巻は、天皇を中心とする人の物語といっていいでしょう。神話世界と現実世界をつなぐ物語といえるかもしれません。

奈良時代初期は、日本がようやく国家組織を整え、中央政府の権力を確立していく時期でした。その正統性を表明すること、すなわち、天皇家の祖先が地上に降り、国譲りを受けて天下を統治するに至った経緯を叙述することで、支配の正統性を主張することに、『古事記』の主眼が置かれています。そのために、当時語られていたさまざまの伝承神話が、組み替えられ、再構成されて、物語に組み入れられています。

『古事記』の上巻は神話世界で、始まりは、天地創造と神々の出現です。最初のところの原文をみると、次のようになっています。「天地初めて発れしに、高天原に成れる神の名は、天之御中主神《アメノミナカヌシノカミ》。次に高御産巣日神《タカミムスヒノカミ》。次に神産巣日神《カムムスヒノカミ》。此の三柱の神は、並に独神と成り坐して、身を隱しき」(神野志隆光訳)。まず、天が高天原として現れた時、3人の神が出現します。

続いて、地上世界が、まだ未分化で「浮ける脂」のようで、「くらげが漂う」ようであったときに、「葦牙(あしかび)が萠えあがるように」2人の神が出現します。宇摩志阿斯訶備比古遲神《ウマシアシカビヒコヂノカミ》と天常立神《アメノトコタチノカミ》です。その後も、次々に神が出現し、最後に伊耶那岐神《イザナキノカミ》と伊耶那美神《イザナミノカミ》が出現して、高天原の神が出揃います。このイザナキとイザナミが「天降」って、クラゲのように漂っていた地上世界は、徐々に陸地がきちんと分かれた地上世界となります。

ここからは、よく知られた物語が次々に登場します。まず、天降ったイザナキとイザナミは島々を作り、続いて神々を作ります。神々の最後に火の神を産んだためにイザナミは死んでしまい、死んだイザナミに会いにイザナキは黄泉国に行きます。国づくりが途中なので、イザナミを呼びもどそうというのです。ところが、うじがたかり溶けかかった姿となったイザナミを見て恐れたイザナキは黄泉国から逃げ出し、それをイザナミが追いかけます。逃走譚です。「逃げる、追う、逃げる、追う」の繰り返しの末、最後に「千引の岩」が黄泉国との境を塞ぎ、イザナキは逃げ切ります。逃げ還ったイザナキは禊(みそぎ)をして、再び神々が成り、その最後に、アマテラス・ツクヨミ・スサノヲの3貴子が生まれます。

禊(みそぎ)の後の話の流れは、「天に坐々《マシマシ》て照り賜う」アマテラスと「荒ぶる神」スサノオの対抗、アマテラスの岩屋ごもりとアメノウズメの踊りによる帰還、スサノオの高天原からの追放と食物起源および出雲でのヤマタノオロチ退治、スサノオの系譜をひくオオクニヌシによる葦原中国《アシハラナカツクニ》の完成、アマテラスの命を受け3種の神器を授かって「天降り」するニニギとオオクニヌシの国譲りと続きます。

『古事記』で描かれている神話世界とは、以上のようなものです。天上世界と地上世界、黄泉国・根の国・常世の国と葦原中国、光の世界と闇の世界、こうした2つの世界の往還が繰り返し現れます。じつは、こうした2つの世界の往還は、決して、倭=日本古来に限られるものではありません。世界中に共通して存在する物語です。例えば、冥界と現実世界との往還は、ニュージーランド・マオリ族の神話にもありますし、オロチを退治して娘と結婚するというのは、ギリシャ神話のペルセウス・アンドロメダ物語と同型です。スサノオがオホゲツヒメを殺し、その体から五穀や蚕がもたらされるという物語も、世界各地にみられる話型です。

ギリシャ、インド、ネイティブ・アメリカン、中国、日本、ミクロネシア、南米。遠く離れた地域、民族、時代にもかかわらず、世界各地の神話には、共通する物語が含まれています。とりわけ、2つの世界の往還の物語は、すべての神話に必ず登場します。世界中の神話を蒐集・分析して、この2つの世界の往還の共通パターンを、「出立-イニシエーション-帰還」の構造として抽出したのは、比較神話学者のジョーゼフ・キャンベルでした(『千の顔をもつ英雄』上・下、ハヤカワ文庫、2015年、原著刊行年は1949年)。

キャンベルは、「普通の人の運命を運んでくる世界の象徴的な使者の物語」は冒険として語られるとして、出立を「冒険への召命-召命拒否-自然力を超越した力の助け-境界越え-闇の王国への道」、イニシエーションを「試練の道-女神との遭遇-誘惑する女-父親との一体化-神格化-究極の恵み」、帰還を「帰還の拒絶-魔術による逃走-外からの救出-境界越え-二つの世界の導士-生きる自由」と、分節化して説いています。「個人の成長-依存から脱して、成人になり、成熟の域を通って出口に達する。そして、この社会との関わり方、また、この社会の自然界や宇宙との関わり方。それをすべての神話は語ってきた」というのです(『神話の力』ハヤカワ文庫、2010年、原著刊行年は1988年)。

このキャンベルの発見は、神話学の枠を越えて、様々な分野に大きな影響を与えました。ハリウッド映画やディズニー・アニメの多くは、このキャンベルのフレームに基づいて作成されたし、ジョージ・ルーカスは「スター・ウォーズ創造のインスピレーション」は、キャンベルから与えられたと明言しています。「マトリックス」や「ハリー・ポッター・シリーズ」も同様でしょう。日本のアニメ、例えば、ジブリの作品、あるいは新海誠の「君の名は」「天気の子」「すずめの戸締まり」にも、この神話構造がみられます。「すずめの戸締まり」の主人公が岩戸鈴芽(すずめ)と名付けられているのも、アメノウズメを連想させます。

キャンベルは、神話は「生活の知恵の物語」「人間生活の精神的な可能性を探るかぎ」と語っています。神話が語る世界は、私たちの精神の旅の写し鏡でもあります。私たちがどう生きるか、生きるべきかという問いを投げかけているともいえます。ときには、映画やアニメをこうした視点から観なおしてみたらどうでしょう。

学長  伊藤 正直