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【学長通信】自画像・セルフポートレイト・自撮り

学長通信

「自画像」という言葉から何を連想しますか?と質問されたら、まず出てくる答えは洋画ではないでしょうか。ゴッホの《包帯をしてパイプをくわえた自画像》はあまりにも有名ですし、ゴッホから交換を依頼されてゴーギャンが描いた《自画像 レ・ミゼラブル》もよく知られています。日本の近代洋画家、青木繁、萬鐵五郎、小出楢重、岸田劉生、藤田嗣治を思い浮かべる人もいるかもしれません。「セルフポートレイト」というと、これに写真が加わります。洋画ほどは知られていないかもしれませんが、マン・レイやアンディ・ウォーホルくらいは思いつくでしょう。写真に詳しい人なら、クリスチャン・ボルタンスキーやシンディ・シャーマン、日本ですと、最近では森村泰昌でしょう。「自撮り」(selfie)から連想するのは、人の名前ではなく、Instagram、TikTok、Twitter、LINEなどのSNSでしょうか。

人はなぜ自画像を描くのか、セルフポートレイトを撮るのか、自撮りするのか。絵画で描かれた独立した自画像は、画家にとっては最も自己言及的な表現といえます。自分とはいったい何者であるのかという自己認識のための自画像、社会の中での自分の社会的地位を確認するための自画像、あるいは社会に対する自己アピールのための自画像、あるいはモデル代わりの自画像。15世紀に始まった西洋絵画における独立した自画像は、美術史の側からだけでなく、美学、哲学、精神分析、現代思想など、さまざまに論じられてきました(三浦篤『自画像の美術史』東京大学出版会、2003年)。

これまで内外の自画像をかなり観てきましたが、最も強烈な印象を受けたのは、レンブラントでした。1999年の夏、当時滞在中だったロンドンで、「レンブラントの自画像展」というタイトルの展覧会がナショナル・ギャラリーで開催され、そこで若年から晩年までの数多くのレンブラントの自画像を観ました。ちなみに、ナショナル・ギャラリーのすぐ北には、ナショナル・ポートレイト・ギャラリーがあり、イギリスの歴史上の人物から最近の俳優までの肖像画が、1,300点以上展示されています。肖像画好きのお国柄なのでしょう。

レンブラントといえば《夜警》が有名ですが、彼ほど、生涯にわたって多くの自画像を描き続けた画家は他にはいないのではないでしょうか。レンブラントの自画像は、油彩とエッチングだけで75点を超しており、その他の素描なども含めれば100点以上に上ります。レンブラントは、なぜこれほど多くの自画像を描き続けたのでしょう。

若い頃の作品は、社会に自己をアピールするというよりは、画法技術の探求という面が強いように思われます。例えば、1628年の《青年としての自画像》には、レンブラントの特徴とされる粗描きと平滑描写が、すでにくっきりと表れていますし、1630年の《目を見開いた「自画像」》は、鏡に映した自分の表情研究の産物です。

中期以降になると、制作の目的は変わってきます。17世紀オランダの市民階級では、自宅に肖像画を飾ることが流行になります。アムステルダムに移住したレンブラントは、町一番の人気肖像画家となり、とても一人では描ききれないため、レンブラント工房を立ち上げ、多くの弟子たちに注文肖像画を描かせるようになります。《鍔広帽をかぶった自画像》や《石の手すりにもたれた自画像》は、富裕なオランダ市民階級の服装、あるいは彼らが理想とする服装を身にまとっています。演技する自己=顧客向けの作品といってよいかもしれません。

晩年には、さらに自画像は変遷を遂げます。《イーゼルのある自画像》や《二つの円を伴う自画像》は、ともにパレットと絵筆を手にした画家の姿で、頭に絵の具を避けるための白い帽子をかぶっています。いずれも破産申告の後に描かれたものので、その表情は、深い自己省察であり、画家としての生涯宣言であったとみることもできます。

森村泰昌は、画家にとっての特権的領域である自画像の意味と意義の捉え直しを、自画像を描いた画家に扮したセルフポートレイト写真を製作することにより続けてきました。1985年にゴッホに扮するセルフポートレイト写真でデビューして以来、西洋美術にとどまらず、ピンナップや報道写真にまで入り込み、内外の女優に扮するところまで踏み込んで、自画像についての従来の美術史的把握の見直しを主張し続けてきました。

2016年に国立国際美術館で開催された森村泰昌展は、その集大成ともいうべきもので、そこで発表された映像を、森村泰昌『自画像の告白 「私」と「わたし」が出会うとき』(筑摩書房、2016年)として出版しています。森村が扮したのは、レオナルド・ダ・ヴィンチに始まり、レンブラント、デューラー、ゴッホ、フリーダ・カーロ、アンディ・ウォーホル他の11名プラス森村自身で、画家の「私」に森村の「わたし」が聞き取りをするという構成になっています。一方での画家の自画像という特権性や身体性への問い直し、他方における写真加工技術や編集可能性の拡大による個別性・身体性の喪失という現在への批評、この両者をつなぐ境界領域に森村セルフポートレイトは立っているように思われます。

いまや自撮りは花盛りです。InstagramやTikTokを覗けば、自撮り画像や自撮り動画があふれています。しかし、そこでの自撮りは、画家の自画像とも写真家のセルフポートレイトとも、まったく異なっています。以前にも少し書きましたが、この転換は1995年のプリント倶楽部(プリクラ)の登場にありました。通称プリクラは、1998年にはデジタル画像処理が可能となり、白い肌、つや髪などの画像偽装、さらに2007年には「デカ目」も可能となります。プリクラシールに、自分ではない「自分」が現れるのです。

スマホの普及とともに、自撮りは急拡大し、デジタル処理による「盛り」や「キャラ」が当たり前となります。自撮りのほとんどは、記録というよりは、SNSなどに公開する目的で撮られます。承認欲求の一種といってもいいのですが、ありのままの私を承認してほしいということではありません。コミュニケーション欲求といっても日常のコミュニケーションを要求しているわけでもありません。ネット上の疑似的な社会関係のなかでの承認欲求であり、コミュニケーション欲求ということができます。自画像からセルフィーへの展開は、自己と他者、自己と社会の関係の問い直しを、改めて要請しているようです。

学長  伊藤 正直