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【学長通信】経済活動はいつでも効率的・合理的か?

学長通信

高等学校の『政治経済』や『現代社会』の教科書を開くと、どの教科書でも、経済の単元のはじめの方で需要供給曲線(DS曲線)のグラフが出てきます。縦軸が商品の価格、横軸が商品の流通量で、需要曲線は右下がり、供給曲線は右上がりで描かれています。需要曲線が右下がりなのは価格が下がれば購買量は増大する、供給曲線が右上がりなのは価格が上がれば供給量は増大する、といった点を前提としているからです。そして、その商品の価格と流通量は、需要曲線と供給曲線の交点で均衡するというのです。何らかの事情で、全体の需要が増えると需要曲線は右に移動し、それにつれて均衡点も右上に移動します。同様に、何らかの事情で全体の供給が増えると、供給曲線は右に動き、今度は均衡点が右下に移動することになります。

この需要供給曲線の説明は、とても分かりやすく、すぐに納得してしまいそうです。「高ければ買わない、安くなれば買う」「安ければ売らない、高くなれば売る」。そして、両者の思惑が一致したところで、価格と販売=購買量が決まる。当たり前のように思えるでしょう。しかし、よく考えると、この説明は、いくつかの前提の上に成り立っています。

需要と供給の均衡点を決めるのは「価格」です。売り手と買い手は、価格だけをパラメーターとして行動します。ですので、そうした行動ができるように「市場」が組み立てられていなくてはなりません。経済学では、これを「完全競争」市場と呼びます。もっと大きな前提もあります。「価格だけをパラメーターとして行動する」ということは、売り手も買い手も、損得勘定という経済的な合理性のみで意思決定するということです。つまり、個人も企業も政府も、合理的な判断に基づいて効率的に行動するという前提があるのです。このような経済主体、経済学が与件としている経済主体は、ホモ・エコノミクス=経済人と呼ばれています。

しかし、現実の市場が、いつでもこの前提を満たしているかといえば、そうでない方が圧倒的に多いことは、周りを見回せば、容易に発見できるでしょう。自身を振り返れば、経済行動においていつでも合理的な意思決定を行っているわけではないことにも気づかされるでしょう。「完全競争」市場では、「価格」は、売り手にとっても買い手にとっても与件(=自分では決められないもの)ですが、現実には、そうではない場合がしばしばです。買い手が多数いるのに売り手が少数しかいない場合や、その逆の場合がそうです。「寡占」企業ないし「独占」企業の存在です。こうした企業が存在する市場では、これらの企業が「価格決定力」を持っており、市場で自律的に「価格」が決まることはありません。経済学では、これを「不完全競争」市場と呼びます。

例えば、最近発表された財務省『年次別法人企業統計調査(令和2年度)』によれば、2020年には約290万社の法人企業(個人営業まで含めると600万社弱)があり、そのうち資本金10億円以上の企業は0.2%、5,798社です。この0.2%の企業が、全企業の経常利益の59.0%(金融・保険業を含めると63.5%)を占め、売上高の37.6%を占めています。売上高利益率も10億円以上企業が7.2%であるのに対し、1,000万円以下企業では2.3%と大きな差があります。このデータを見るだけでも、自律的に「価格」「均衡点」が決まったとはいえないことは明らかでしょう。

「寡占」企業や「独占」企業の発生は、多くは歴史的です。経済が発展し、産業構造が高度化し重化学工業化が進んだ時期には、鉄鋼業や石油化学産業、鉱業や加工組立産業などで、規模の経済性や技術的優位性が働きます。IT化・情報化やグローバル化が進む時期には、情報の非対称性が働きます。あるいは、電気・ガス・上下水道、公共交通などの公共的分野では、政府の公共的規制によって、企業行動自身が規制されます。「不完全競争」市場は、「完全競争」市場に比べると、理論的には、資源配分において非効率・非合理が生じます。アメリカで、GAFAM(Google、Amazon、Facebook、Apple、Microsoft)に対して、独占禁止法違反の是正命令がしばしば出されているのは、この故です。

GAFAMなどの情報産業が「寡占」化ないし「独占」化する背景には、情報の非対称性があります。「情報の非対称性」とは、経済取引において取引主体間に情報格差があることを指します。実は、「情報」をどのように把握するかについては、かなり難しい問題があるのですが、事例として、アメリカの中古車市場(俗語で質の悪い中古車をレモンカーと呼んだ)問題をとりあげてみます。この中古車市場(レモン市場)では、売り手は中古車の内容についてよく知っていますが、買い手は購入するまでその内容を十分に知ることはできません。そのため、売り手は質の悪い中古車を良質な中古車として販売する傾向があり、買い手は良質な中古車を購入しがたくなり、市場には悪質な中古車ばかりが出回ってしまうことになります(これを逆選択といいます)。GAFAMの場合は、情報が財として独占的あるいは排他的に占有され、その結果として、利用者に多くの不利益が生じる、あるいは利用者の個人情報が勝手に使用されるといった問題も指摘されています。

以上の事例は、いずれも、本来「完全競争」市場であるべき経済市場が、いくつかの外挿的条件のために「不完全」市場となっている例です。ですから、政策や制度は、この「不完全」を除去する方向で運用されます。公正取引委員会とか独占禁止法がそれです。ところが、最近の経済学で、こうした見方に根本的に異議を唱える考え方が出てきました。行動経済学と呼ばれる領域がそれです。「通常価格の50%引き、大幅値下げという表示があると、つい買ってしまう」「利益が出る可能性があるときには利益を失わないように、損失が出る可能性があるときには損をしないように行動してしまう」「つまらない映画だけど、最後まで観ないと映画代がもったいない」「頼まれごとなら頑張るが安い報酬ではやる気がしない」。

こうした一見すると、合理的でも効率的でもない経済行動が、経済主体にとって本来的なものであることを解明しようとしているのが行動経済学です。心理学ないし認知科学を経済行動の分析に導入し、経済学の新しい領域を切り開こうとしているともいわれています。行動経済学については、ダン・アリエリー『予想どおりに不合理』(ハヤカワ文庫、2013)、ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』(ハヤカワ文庫、上下、2014)などで、その概要を知ることができます。一読を勧めます。

学長  伊藤 正直