大学紹介
入試・入学
学部・短大・大学院
研究
就職・キャリア
​学生生活
​留学・国際交流
地域連携・社会貢献
  • TOP
  • トピックス
  • 【学長通信】「キャリア教育」あるいは「教育の職業的意義(レリバンス)」

【学長通信】「キャリア教育」あるいは「教育の職業的意義(レリバンス)」

学長通信

「学校から仕事へ」あるいは「学習から労働へ」。この切り替えの時期は、1950年代前半までは主流は中学校卒業時でした。高度成長期にはこれが高校卒業時になります。1975年には、高校進学率は90%を超えます。1990年代以降になると、大学卒業時になりますが、注意すべきは、男女間で、この時期に大きな差が見られたことです。

1990年には、女子の4年制大学進学率はまだ15.2%で、男子33.4%の半分でした。女子は短期大学への進学が多く、1995年にピークの24.6%となります。その後、短大進学の割合は傾向的に低下し、代わって4年制大学への進学率が緩やかに上昇を続けます。2021年には女子の4年制大学進学率は51.7%(短大7.2%)となりました(文科省『学校基本調査』2021.12)。同時期の男子が58.1%ですから、まだ少し男子の方が高いとはいえ、男女を問わず、若い人たちの過半が、4年制大学を経て仕事=労働に入っていく時代になったということができます。

仕事=労働という新しい環境に入っていく準備は、どのようになされているのでしょうか。旧来の日本型雇用システムが一般的であった時代には、そうした準備はほとんど必要とされていなかったように思われます。企業の側は、「入社前に学生が担当する職務に必要な勉強や準備をすることを期待していない。余計なことをせずに、優秀な素材を優秀な素材のままに企業に手渡してほしい。入社後にOJTやOff-JTにより職務能力をつけるほうが有用であり大事である」。先月も書きましたように、これがある時期までの日本の企業の考え方でした。学校の側も、教育は「人格を形成し教養を高めるためのもの」、「一般的・基礎的な知力や人間力を高めるもの」との位置づけが強く、労働への架橋という意味での教育を重視してはきませんでした。

こうした状況に変化が生じたのは、1990年代に入ってバブルが崩壊し、日本経済が「失われた10年」に突入したためでした。入社したすべての正社員を、配置転換や昇進・昇格を通して、広い範囲の職務のスキルを身に付けさせていくというシステムを維持していく。こうした余裕が、多くの日本企業において徐々に失われてきたからです。そこに登場したのが「キャリア教育」でした。

「キャリア教育」という言葉が、文部科学省で初めて登場したのは、1999年のことです。同年の中央教育審議会「今後の初等中等教育と高等教育との接続の改善について(答申)」で、学校と職業との接続について議論がなされ、「発達段階に応じてキャリア教育を実施する」ことが提言されたのでした。ここでの「キャリア教育」とは、「望ましい職業観・勤労観及び職業に関する知識や技能を身に付けさせるとともに、自己の個性を理解し、主体的に進路を選択する能力・態度を育てる教育」とのことです。つまり、職業観・勤労観といった職業意識に関する教育と、職業に関する知識や技能を習得する教育の両者からなっているのです。この教育を、小学、中学、高校それぞれの発達段階に対応しつつキャリア発達を促そうと提唱したのです。

その後、2011年には、中央教育審議会は「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について(答申)」を発表、キャリア教育を「一人一人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育」と定義し直します。キャリアやキャリア発達についての正確な理解が教育現場においてなされていないこと、職業観・勤労観の育成のみに重点が置かれてきたことが、再定義の理由とされています。

答申は、キャリア教育で育成すべき力として、「分野や職種にかかわらず、社会的・職業的自立に向けて必要となる基盤的能力」を「基礎的・汎用的能力」として掲げました。この「基礎的・汎用的能力」とは、「人間関係形成・社会形成能力」「自己理解・自己管理能力」「課題対応能力」「キャリアプランニング能力」の4つの能力としています。そして、後期中等教育修了までに、生涯にわたる多様なキャリア形成に共通した能力や態度を身に付けさせることと併せて、これらの育成を通じて価値観、とりわけ勤労観・職業観を自ら形成・確立できる子ども・若者の育成を目標として掲げました。

以上からわかるように、当初は「キャリア教育」の主たる対象は、初等教育・中等教育であり、とくに中学生・高校生でした。しかし、21世紀に入って進学率が上昇し、同一年齢の過半が大学それも4年制大学に進学するようになると、大学生にも、適切な「キャリア教育」が求められるようになります。社会=企業の側も、それを求めるようになってきました。

こうして、大学でも「キャリア教育」が推進されるようになりました。具体的な内容はさまざまですが、多くは、①生き方、働き方を知る、②職業、業界、企業を知る、③インターンシップ、就職活動を知るといった構成と、インターンシップ、就職支援などからなっているようです。

しかし、こうした「キャリア教育」については、他方で「進路選択や働き方、生き方に関するあらゆる理想を包み込むような無限定さ」(本田由紀)、「具体的な職業を前提としないままに、勤労観・職業観や職業に関する知識を身に付けさせようとする」(濱口桂一郎)といった批判が繰り返されています。

本田は、「仕事の世界への準備として欠かせないのが、第一に、働く者すべてが身に付けておくべき、労働に関する基本的知識であり、第二に、個々の職業分野に即した知識やスキルである」とし、これが教育にも必要と訴えています。前者は、働かせる側の圧倒的力に対して、「法律や交渉などの手段を通じて《抵抗》するための手段」、後者は「働く側が仕事の世界からの要請に《適応》する手段」(本田由紀『教育の職業的意義』2009年)であるとし、これを習得していくことに、「教育の職業的意義(レリバンス)」があるというのです。本田は、別の著書(本田由紀『若者と仕事』2005年)で、教育の「即自的意義」「市民的意義」「職業的意義」のそれぞれの関係について考察しています。大学における「教育の意義」とは何か、「キャリア教育」はどうあるべきか、改めて考えてみたいと思います。

学長  伊藤 正直