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【学長通信】からだ・ことば・コミュニケーション

学長通信

NHK総合で、「古見さんは、コミュ症です。」という夜ドラが9月6日から8週連続で放映されました。「誰もが振り向くほど美しい女子高校生古見さんは、実は人と話すことがほとんど出来ない悩みを抱え続けている。高校生活スタートの初日、古見さんは、平凡で小心者の男子同級生・只野くんと急接近。二人は、ある途方もない目標に向かって、ぎこちなくも健気な一歩を踏み出すのであった」と、番組紹介にはあります。

池田エライザを始め、増田貴久、吉川愛、城田優、溝端淳平など、すでに高校生活を終えてかなり経つ俳優たちが、濃いキャラの高校生役を演じた番組でした。原作は、少年サンデー連載中の人気漫画、オダトモヒト「古見さんは、コミュ症です。」。単行本は、現在、23巻まで刊行されており、10月からはTVアニメもスタートしています。

医学的概念としてのコミュニケーション障害は、近年、かなり認識が進み、研究も臨床も進められています。しかし、「コミュ症」という言葉は、コミュニケーション障害と重なる部分もあるのですが、どちらかというとBBSやSNSから発生したネット用語で、社会生活におけるコミュニケーションに困難をきたすいろいろな症状を指すことが多いようです。

例えば、挨拶がきちんとできない、社会的状況に応じた適切な話し方ができない、人と情報の共有ができない、相手の話を聞かず自分の話ばかりしてしまう、相手の言いたいことを察することができない、といったことが、コミュ症の事例としてあげられます。

初対面の人に挨拶をするとき、どんな言い方をしたらいいのか、過剰に礼儀正しくなってしまうのではないか、逆に、あまりにそっけなくなってしまうのか、そんなことが心配で言葉が出てこない、そんな経験があるかもしれません。あるいは、学校の先生や部活の顧問、同級生・上級生・下級生、大人・子供、授業中と放課後、話す相手や状況によって、自然に話し方を変えることがなかなかできない、そんな経験もあるかもしれません。さらに、自分がしゃべっていることが本当のことかどうか、嘘をしゃべっているようにしか思えないのでしゃべりたくない、そんな経験もあるかもしれません。

本学でも、そうした悩みを持つ学生が、以前より少し増えているように思います。学生相談センターや教員に対して、そうした相談に来る学生が増えているからです。なかでも多いのが、「うまく友達をつくれない」、「周りが自分のことをどう見ているのか気になって仕方がない」というものです。じつは、「古見さんは、コミュ症です。」という夜ドラは、まさにその問題を取り扱った番組でした。他者に本当に触れるにはどうしたらいいか、他者と本当に関係を作るにはどうしたらいいか、という問題と言い換えることもできます。

ドラマを観ながら想起したのは、竹内敏晴『ことばが劈(ひら)かれるとき』(ちくま文庫)でした。1975年に刊行されたこの本は、刊行後40年以上が過ぎたにもかかわらず、現在でも、絶えることなく読まれ続けています。

2009年に84歳で亡くなった竹内は、劇団「ぶどうの会」、「代々木小劇場=演劇集団・変身」などを経て、竹内演劇研究所を開設した演出家でした。そして、その後「竹内レッスン」と呼ばれる独自の「からだとことば」のワークショップを、全国各地の団体、大学、高校などで行うようになり、社会の広い範囲に大きな影響を与えるようになります。竹内が50歳で著した『ことばが劈(ひら)かれるとき』は、少年時代から50歳に至る彼自身の軌跡を綴ったものでした。

彼の軌跡はとても独自でした。竹内は、生後すぐに難聴となり、中耳炎の悪化で、12歳から16歳の秋頃までまったく聞こえなくなります。その後、開発されたばかりの新薬の投与によって劇的にまず右耳が聞こえるようになり、10年を経て左耳もほぼ回復します。このため、健聴の人であれば自然に進行する言語習得を、意識的に自力で行わざるを得ず、このことが、声やことばを通して、人と人とが関係をもつことの意味を深く考えていくことにつながります。

この言語習得の過程、竹内の言葉を借りれば、「発語への身悶え」を、竹内は、次のように語っています。「私の作業は、まず、自分の見たもの、感じたことを表現する単語を見出すこと、次にそれをどう組み立てたならば他人に理解できるかを発見すること、そして、第三に、それをどう発音したら他人に届くのかを見出すことだった。しかし、私はどこからこの作業を始めたらよいか、かいもく見当がつかなかった」。「16歳の終わりごろ、ようやく耳が聞こえ始めたときから、私はおずおずと、しかし、いやおうなしに、会話、あるいは対話の世界に入りこんでいかざるをえなかった」。「日常生活では、ものやことを指示する単語があれば、ほぼ用は足りた。‥‥だが、からだの中で悶え、表現を求めているものをことば化して外へ取り出すことは別の次元に属するということを私は知った」。こうして主体としての「わたし」が登場し、「わたし」を引き渡す「他者」が立ち現れることになります。これが竹内自身の語る言語習得の過程でした。

「他者」の発見、コミュニケーションこそが、ことばの本質であるというのが、竹内の発語訓練でした。そして、このことが竹内に、続けて身体性の問題を検討させることになります。「私のように、障害のあったものを除いては、ことばは意識的操作として発せられるものではなく、食べるとか眠るとかと同じように、無意識にうながされて発する動作であり、意識は、あとからそれをコントロールするだけにとどまる。‥とすれば、ことばもまた『からだ』としてとらえられねばなるまい」。

こうして、この本を著した後、「ことば」をひらくことと「からだ」をひらくことを一体として進めていく「竹内レッスン」がはじまります。他者と本当に関係をつくるためには、まず「ことば」が相手に届かなくてはならない、そのためには、届かせることができる「からだ」がなくてはならない、そうしてはじめて自分の「こころ」も相手の「こころ」もひらくことができる。『ことばが劈(ひら)かれるとき』は、そのことを強烈に訴えています。

学長  伊藤 正直

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