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【学長通信】暮らしの文化史

学長通信

「ものと人間の文化史」という出版物のシリーズがあります。法政大学出版局が版元で、1968年刊行の須藤利一編『船』以来、2021年6月の現在まで、200冊以上が出版されています。2021年6月の最新刊は杉山一夫『パチンコ』で、50年以上にわたって、ゆったりと、しかし、とどまることなく刊行が続いています。「文化の基礎をなすと同時に人間のつくり上げたもっとも具体的な『かたち』である個々の『もの』について、その根源から問い直し、『もの』とのかかわりにおいて営々と築かれてきた暮らしの具体相を通じて歴史を捉え直す」というのが、このシリーズの趣旨とのこと。

これまでどんなものが刊行されてきたかを、本のタイトルから見ていくと、衣食住を柱に、広義の生活文化史や生活技術史に関わる主題が取り上げられていることがわかります。ただし、海外の生活文化史、生活技術史については触れること少なく、主要な対象は、日本にほぼ限定されています。例えば、「衣」を対象とした本のタイトルをみると、『はきもの』、『ひも』、『藍』、『絹』Ⅰ・Ⅱ、『草木布』Ⅰ・Ⅱ、『木綿口伝』、『野良着』、『絣』、『古着』、『染織』、『裂織』、『木綿再生』、『織物』があります。「住」については、『番匠』、『壁』、『箪笥』、『垣根』、『屋根』、『枕』、『襖』、『瓦』、『下駄』、『井戸』、『柱』があります。

「食」を対象としたものは最も多く、食品については『塩』、『海藻』、『野菜』、『木の実』、『海老』、『鮎』、『鮑』、『鯛』、『蛸』、『パン』、『松茸』、『稲』、『もち』、『さつまいも』、『鰹節』、『梅干』、『海苔』、『粉』、『鮭・鱒』Ⅰ・Ⅱ、『麹』、『落花生』、『桃』、『鮪』、『栗』、『ごぼう』、『鱈』、『酒』、『豆』、『醤油』、『柿』が、台所道具、食具では、『箸』、『かまど』、『まな板』、『食具』、『鍋・釜』、『臼』、『篩』があります。採集・狩猟まで広げると、『狩猟』、『狩猟伝承』、『釣針』、『海女』、『貝』Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ、『採集』、『網』、『漁撈伝承』、『捕鯨』Ⅰ・Ⅱ、『カツオ漁』、『追込漁』が取り上げられています。『松茸』や『梅干』あるいは『まな板』や『篩』で1冊になっているのは、かなりマニアックです。

この他、生活道具についても、『鋸』、『農具』、『包み』、『ものさし』、『筆』、『ろくろ』、『鋏』、『桝』、『秤』、『斧・鑿・鉋』、『箱』、『曲物』、『野鍛冶』、『掃除道具』、『桶・樽』Ⅰ・Ⅱなどが取り上げられています。面白いのは、ゲーム・遊戯を主題とするものがかなりあることで、『将棋』Ⅰ・Ⅱ、『盤上遊戯』、『賭博』Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ、『碁』、『さいころ』、『すごろく』Ⅰ・Ⅱ、『チェス』、『遊戯』Ⅰ・Ⅱ、『花札』、『かるた』、そして最新刊の『パチンコ』と来ます。文化人類学や文化社会学の視点からホイジンガやカイヨワが提示してきた「遊び」が、生活行為の本質を構成する不可欠の部門であるということ、このシリーズが「暮らしの具体相」をそのようなものとして捉えようとしていることを、ここから知ることができます。

じつは、私が、このシリーズで最初に手に取ったのは、岩井宏實『曲物』(1994)でした。昔から、大舘曲げわっぱや木曽ワリゴ(弁当箱)、奈良井メンパ(飯びつ・蒸器)などが自宅に置いてあり、曲物の歴史に興味をもったことが購入の理由でした。この本がとても面白かったので、以後、機会があれば、このシリーズを手に取るようになりました。

私たちが日常使っている生活用具、とくに日本の歴史の中で長く使われてきた生活用具については、これまで、主として、手工芸ないし民芸(民衆的工芸)として取り上げられることが多かったように思います。わが国における民芸運動の創設者、柳宗悦は、戦時中の1943年には原稿を完成していた『手仕事の日本』のなかで、「実用こそはかえって美しさの手堅い原因」、「用途に結ばれずば現れない美しさ」として「用の美」、「自然な本然の状態」としての「健康の美」を強調しました。そして、バーナード・リーチ、河井寛次郎、濱田庄司らとともに、手仕事の重要性を訴える民芸運動を興します。『手仕事の日本』の事項索引をみると、生活用具全般に対して、全国を回って調査していることがわかります。「ものと人間の文化史」で取り上げている生活用具のほぼすべてを、戦前すでにカバーしているのです。曲物も、東北から九州まで、日本各地のそれぞれの工芸品を丁寧に取り上げています。

柳宗悦は、民芸の基本を、実用性、民衆性、地方性に置き、美術品とは異なる手作りの工芸品こそが重視されるべきであるとしています。しかし、工業化と産業化の進展は、低廉な機械工業製品を大量に産出し、日常の生活用具の市場、柳のいう民芸品の市場を圧迫し続けます。その結果、古くからの生活用具は市場を失い、貴重品、骨董品に転じることになります。「用の美」「健康の美」という美学的観点の強調だけでは、この限界を突破することは難しいでしょう。

岩井宏實『曲物』は、柳宗悦よりも幅広い視点で、曲物を取り上げています。本の最初の4章で、「水をめぐる生活と曲物」、「飲食用具としての曲物」、「衣と住と曲物」、「生業と曲物」と日常生活で使われる曲物が紹介されます。次いで、「諸職と曲物」(5章)で曲物を使う職業が列挙され、6章以下で、「運搬具としての曲物」、「霊の器としての曲物」、「正月・盆の曲物」、「民俗芸能と曲物」、「神事・仏事と曲物」と、この諸職と関連付けながら、曲物の使用例が紹介されていきます。最後の3章は、「曲物の技術」、「曲物の変遷」、「曲物風土記」で、それぞれの地方での曲物生産のありかたが紹介されます。民俗学、文化人類学、社会学、生活科学といった広い視点からの提示です。

文化庁は、「(日本)近代の生活文化・技術には、近代の我が国の国民の生活の理解に欠くことのできないものを多く含んで」いるにもかかわらず、「我が国の近代の生活文化・技術は、全国的規模での都市化と生活の均質化が進んでおり、併せて著しい変化の中で生成・消滅を繰り返している」と述べています(文化庁「近代の文化遺産の保存・活用に関する調査研究協力者会議生活文化・技術分科会報告書」1996年7月)。こうした観点からも、「ものと人間の文化史」のシリーズは、放置すれば消滅しかねない日本近代の生活文化・生活技術を記録するとともに、その維持・発展を追求する貴重な試みといえます。本学の図書館にもこのシリーズは、ほとんどが開架に配架されています。ぜひ手に取ってもらいたいと思います。

学長  伊藤 正直