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【学長通信】「昭和のテイスト」?

学長通信

「昭和っぽい」「昭和の雰囲気」といった言葉が、最近あちこちで聞かれます。「この曲、ちょっと昭和っぽいね」とか「このデザインには昭和のテイストがあるよ」といった言い振りです。若い人たちも、よくこうした言い方をします。「今」とは違う何か、といった意味でしょう。あるいは、昔流行っていたもの、どこか懐かしいもの、といったニュアンスでしょうか。でも、昭和が終わって30年以上経っていますし、高度成長が終わってからを考えると、ほぼ半世紀です。「昭和」を同時代的経験としてもっている人は40歳代以上、高度成長に至っては60歳代以上ということになります。若い人たちは、「昭和」を自らの体験としては知らないわけです。「昭和」は歴史的出来事ということになります。


歴史的出来事であれば、そこには、その出来事の「物語化」=「神話化」があります。「昭和の頃はこうだった」という形での「物語化」です。例えば、映画化もされてヒットした『三丁目の夕日 夕焼けの詩』(小学館)やNHKの朝ドラなどをみると、「物語化」のベクトルの多くが懐古=回顧にあることがわかります。ただ、いうまでもないことですが、「物語化」=「神話化」は、歴史的現在からしかなされません。となると、「物語化」の方向を決めている要素は、ひとつは、現在の主流的潮流、支配的思潮です。失われたもの、忘れ去られたものも、この主流的潮流や支配的思想との距離から見いだされることになります。こことの連関を持たないもの、連関の弱いものは、そもそも「物語化」の対象となりません。もうひとつは、どのような物語を私たちが読みたいかという読み手の側の欲求の問題です。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれた時代に読みたい物語と、バブル崩壊後「失われた二〇年」の後に読みたい物語はおのずと異なるでしょう。


では、ここで語られている「昭和」とはどのような時代だったのでしょうか。おそらく、第二次大戦以前の時代、戦後復興期は、多くの人が語る「昭和」では想定されていないようです。高度成長の始まりあたりから1980年代前半あたりまでが、多くの人がイメージしている「昭和」ではないでしょうか。この「昭和」の時代、外をみれば、朝鮮戦争があり、スターリンが死に、キューバ危機が起こり、ベトナム戦争がありました。ニクソン・ショック、石油ショックがあり、ソ連がなくなり、ベルリンの壁が崩壊しました。


内をみれば、1950年に世界の1%に過ぎなかった日本のGNPは、1970年には6%、1989年には14%に達し、日本は世界有数の「経済大国」となりました。繊維から、造船・鉄鋼・石油化学、電機・自動車と、新しい産業分野が次々に経済発展を引っ張り、金融機関が大きな力をもつようになり、会社は大きくなってオフィスがきれいになりました。高速道路や新幹線が全国に張り巡らされ、都市が急激に膨張しました。農村から都市へと人々が雪崩をうって移動し、核家族が形成され、男は仕事に邁進し、女は家事と消費と子供の保育を担うという構図が定着しました。


政治の世界では、占領が終わって数年後の1955年、自由民主党が誕生、社会党も右派と左派が合同し、以後1993年まで自民党の長期政権が続きました。55年体制の成立です。1960年、安保闘争の年に登場した池田勇人内閣は、所得倍増を掲げ、1972年には、田中角栄内閣が「日本列島改造論」をぶちあげました。北は北海道から南は沖縄までの全国開発が、とうとうと進んだのです。戦後日本の歴史は、国土開発の歴史でもありました。


ライフスタイルも大きく変化しました。身の回りでは、ちゃぶ台が消えLDKと子供部屋ができました。始めはラジオとアイロンくらいしかなかった家電品も、1960年代半ば頃には、テレビ、洗濯機、トースター、電気炊飯器、電気ゴタツ、冷蔵庫が揃い、1970年代に入ると、カー、クーラー、カラーテレビが普及していきます。高度成長期に生産されたモノは、生活水準の象徴としてだれもが入手したい共通の目標となりました。しかし、1970年代後半以降、モノは著しく多様化します。1970年代後半には、VTR、ヘッドフォン型ステレオ、デジタルウォッチ、ストロボ内蔵カメラ、ファミリーバイク、太陽熱温水機、1980年代前半には、CDプレーヤー、超大型・ポケットテレビ、DVDプレーヤー、パソコン、ファミコン、ゲームウォッチ、ワープロ、テレホンカード、スポーツドリンク、ポリマーおむつ、1980年代後半には、高級乗用車、衛星テレビ、衣類乾燥機、電子楽器、電子手帳、プリペイドカード、携帯電話・多機能電話などが次々に登場します。こうして、モノへの欲望は、1970年代後半以降は、世代や職種や所得によって分解し、誰もが共有する基準をもたなくなったのです。


そして、ここで語った、以上のような「昭和」のできごとも、モノとコトの歴史的解釈によるひとつの「物語化」だということに留意してほしいと思います。取り上げているモノゴトが「事実」であるから、そこでのできごとは、客観的実在であるともいえますが、そこでのモノゴトは可視化しえているもののみを取り上げているからです。歴史を振り返るときには、見えているものをきちんと視るとともに、見えていないものを視る努力を続けていくことが必要ではないでしょうか。


学長  伊藤 正直