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【学長通信】視覚と認知

学長通信

ヒトや動物は、どのように外界を認知しているのでしょう。外界の情報をどう処理し、どう反応しているのでしょう。五感という言葉があります。見る(視覚)、聞く(聴覚)、味わう(味覚)、嗅ぐ(嗅覚)、触る(触覚)の5つです。ヒトは、この五感を駆使して、外界を捉えていますが、もっとも多く使っているのは視覚です。ヒトが受け取る情報のうち、およそ8割が視覚からの情報とされています。視覚からの情報もさまざまです。外界の対象物そのものの場合もあれば、文字や画像、映画からの情報もあるでしょう。あるいは存在しないものを視覚的にイメージするといった場合もあるでしょう。

スーザン・バリー『視覚はよみがえる』(筑摩選書、2010年)という本があります。四八歳にして立体視力を得た女性の自伝で、本の扉には、次のようにあります。「視覚は二~三歳を過ぎると正常に発達しないとされる。著者も幼時に斜視だったために二次元視力しかなかった。ところが、四八歳にして彼女は奇跡的に立体視力を得る。それは劇的な変化だった。世界が3Dで見えるというだけではない。音楽も思考も三次元で現れたのだ―。神経生理学者が自らの体験をもとに、脳の驚異的な能力、視覚と脳の真実に迫る。」

この本を読んでいくと、私たちが無意識のうちに実行している立体視がいかに大きな出来事であるかがよくわかります。彼女は、幼児期に内斜視を発症し、その後、2歳、3歳、7歳と3回にわたる外科手術によって眼位(眼の位置)は揃ったものの、両眼視はできないままに成人します。しかし、視力は両眼とも1.0であったため、他の人とはものの見え方が違うということに大学生になるまで気が付きませんでした。大学の講義で立体視のことを知った後も、遠近法、像の重なり、陰影、運動視差といったものから奥行きを判断できる、大して不便を感じていないと考え、また、視覚の発達には臨界期があり、幼時期以降は立体視力の獲得は無理という認識を受け入れて、その後も生活してきたそうです。

しかし、40代になって、「世界が小刻みに震えて見え」たり、「遠方がぼやけて」見えたりするようになったため、意を決して、発達検眼医による視能療法を受け、集中的訓練を行うことになります。そして、ある日、診療所から出て車に乗り込み、イグニッションにキーを差し込んだ時、突然、「ハンドルが固有の空間を占めて宙に浮かび、ハンドルとダッシュボードの間には何もない空間がはっきり存在」するようになります。「立体視の発達期限である臨界期を40年余りも過ぎている。‥‥幻想に違いない」と、はじめは考えますが、その後も度々立体空間が出現するようになり、立体視についての彼女の認識は一変します。本書は、40代後半になって立体視を得た驚き、喜び、戸惑いを率直に語るとともに、それを著者の専門である神経生理学の観点から論理的に説明しようとしています。視覚の不思議を知ることのできる一冊です。

視覚の主な下位区分として、色覚、両眼視、動体視力、物体認識という4つがあるとされています(マーク・チャンギージー『ヒトの目、驚異の進化 視覚革命が文明を生んだ』ハヤカワノンフィクション文庫、2020年)。チャンギージーによれば、「人間の視覚系は脳のうちで圧倒的に理解が進んでいる部分」で、「過去一世紀にわたって、視覚心理物理学と呼ばれる分野の研究者たちが、目の前の刺激と、それが目の奥で引き起こす知覚との関係の解明に取り組んでき」ており、「霊長類の脳の視覚領域のマップを作成し」、「これらの領域の機能特化とメカニズムの特徴を調べている」。また、「人間の脳の進化と、進化の間に優勢だった自然の生態学的条件の理解」についても、「ほかの感覚や認知的・行動的特性よりも視覚についてのほうが、はるかに理解が進んでいる」そうです。

この本の著者は、スーザン・バリーと同様、理論神経科学の研究者で、この領域の研究の先端を、4つの下位区分それぞれについて、一般向けに紹介しています。といっても、本書はかなりのボリュームになるので、ここでは、その一端をみることにします。

最初の色覚では、霊長類の色覚の進化についての従来の通説が、木の実を探したり葉を採取するため、というものだったのに対し、肌の微妙な変化を感知し、感情を読み取るために発達してきたと主張しています。この能力については「テレパシー」という言葉を使っています。ふたつめの両眼視では、これまでは、その特徴を立体視、すなわち奥行きの認識に求めてきたのに対し、単眼視による障害(鼻やメガネフレームや障害物)を、両眼それぞれの視界の差によって統合して、障害を半透明化し一つの視覚に統合すること、本書の言葉を使えば「透視」することに求めています。空間認識の動態化といってもいいでしょう。

三番目の動体視力では、「未来予見能力」という言葉が使われています。脳神経研究によると、網膜に届いた光が脳の神経組織で視知覚に転換するまでに約0.1秒を要するそうです。とするなら、「網膜が光を受けたときにそこにあるものについての知覚を生み出すのだとしたら、知覚は発生時の0.1秒前の過去の世界のさまを示していることになる」というのです。例えば、私たちは、時速36キロメートル(遅いですね)で投げられたボールをなぜキャッチできるのでしょう。もし、0.1秒前の世界のさまを知覚しているとすれば、ボールはもう1メートルも先に行っており、ぶつかっているかパスしているかになるでしょう。この研究もかなり前から行われており、実験などによって、視知覚は0.1秒後を、知覚として認識しているというのです。また、これまでさまざまに発見、研究されてきた錯視も、この動体視力の視点から検討されています。

最後の物体認識では、文字シンボルの「普遍分布」説という新しい見解が示されています。世界中にさまざまな言語があり、さまざまな文字があるが、それらの文字は、視覚特徴という観点からは、すべて3ストローク以内で書くことができるというのです。つまり、現実の世界のなかでものを見分ける視覚特徴と、文字構成は全く同じ形態要素をもっており、普遍的な生成原理があるというのです。

こちらの本も、言葉は挑発的ですが、視覚が発達してきた根拠を、認知という観点から統一的に把握しようとしているという点では、とても刺激的な一冊です。一読を薦めます。

学長  伊藤 正直