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【学長通信】坂の町・水の都、東京散歩

学長通信

散歩がちょっとしたブームのようです。散歩は以前から人々の関心事の一つでしたが、コロナ禍が数年にわたって続き、遠くに旅行することができない、人混みは避けたい、でも、家にこもりつづけていると気が塞ぐ、といったことなどが、人々の散歩への関心を高めたともいえそうです。

散歩を辞書で引くと、「気晴らしや健康などのために、ぶらぶら歩くこと、あてもなく遊び歩くこと、そぞろ歩き、散策」とでてきます。この言葉が一般に用いられるようになったのは明治時代からだそうで、最初は運動の一種と考えられており、言葉が使われるにつれ、古くからの「逍遥(しょうよう)」の意味も含むようになったとのことです(『日本国語大辞典』小学館)。

散歩をする理由は、人により、状況によりさまざまです。道々の草木や花、鳥のさえずりなどの自然を楽しむ人もいるでしょう、街並みを眺めたりウィンドウショッピングを楽しむ人もいるでしょう、散歩中に偶然出会う人と会話を楽しむ人もいるでしょう、遺跡や神社仏閣を巡る人もいるでしょう。このように散歩にはいろいろな楽しみ方がありますが、「あてもなく遊び歩く」ことこそが散歩の醍醐味(だいごみ)ではないでしょうか。

このような散歩人気の高まりを受けて、散歩を主題とするテレビ番組もいくつか登場しました。2008年から始まった「ブラタモリ」(2024年3月終了)は、毎回古地図や地形図を手にしたタモリが、街を散策しつつ、その街の建造物、公園、神社仏閣、観光スポット、坂道、橋、川を楽しみ、地質学・地理学、歴史学的な側面を掘り下げるという番組でしたし、同じNHKで1995年から続く「鶴瓶の家族に乾杯」は、各地を訪問した鶴瓶とゲストによる人々との出会い、家族との出会いが主題でした。フジテレビで2012年から放送されている「有吉くんの正直さんぽ」は、主に東京の下町や繁華街をゲストとともに散策し、食事といろいろな店舗を見学し、コメントするというものでしたし、テレビ朝日の「じゅん散歩」は、それ以前の「ちい散歩」(2006~2012年)、「若大将のゆうゆう散歩」(2012~2015年)を引き継ぎつつ、「気晴らしや健康のため」「あてもなく歩く」という言葉がいちばんあてはまる無目的な散歩番組となっています。

散歩本も、山ほど出ています。東京に限っても、歴史散歩、文学散歩、建築散歩、食べ物散歩、買い物散歩、地名散歩、地形散歩、水辺散歩などがあり、地域を限定したローカル誌も沢山あります。作家の散歩本も多く、幸田露伴『水の東京』に始まり、永井荷風『日和下駄』、井伏鱒二『荻窪風土記』、内田百閒『東京日記』、佐多稲子『私の東京地図』ときて、川本三郎『東京つれづれ草』、小林信彦・荒木経惟『私説東京繁盛記』、滝田ゆう『寺島町奇譚』、秋本治『両さんと歩く下町』など枚挙(まいきょ)にいとまがありません。ついには、池内紀『散歩本を散歩する』(交通新聞社、2017年)などという本まで出版されています。

東京は、坂の町とも水の都ともいわれています。散歩番組をみても、散歩本を読んでも、坂の話や水辺・川べりの話がしばしば出てきます。東京の地形は、西側の多摩丘陵から東京23区のある東側に向かって、だんだんと低い地形になっていきます。家康が江戸に幕府を開いた17世紀はじめでも、海岸線は現在よりもかなり内側まで入り込んでいました。埋め立てや土地整備が行われ、東京東部には多くの町民が、上野台から西の高台には大名や武士が住むようになりました。

東京は、北は荒川、南は多摩川にはさまれた武蔵野台地から、上野台、本郷台、豊島台、淀橋台、目黒台、荏原台、久が原台という7つの丘が指のように伸びており、この指の間を藍染川、神田川、渋谷川、目黒川など6本の河川が、西から東に流れるという地形上の特徴をもっています。これらの河川が、谷を刻み、台地を侵食することで、台地と低地という複雑な地形が生まれたのです。東京に坂が多いのはそのためです。

東京の坂は、名前がついているものだけで800以上ありますが、武家屋敷の多かった文京区・港区・新宿区・千代田区のあたりに多く、東京都地質調査業協会の調査では、東京23区の坂道の60%程度がこの4区で占められているとのことです。武蔵野台地のへりに近いところに坂が多く、そのそれぞれに名前が付けられています。

「江戸の坂には、江戸の庶民が名前を付けたのである。‥だから、その名は江戸っ子気質そのままで、単純明快、即興的で要領よく、理屈がなくて、しかもしゃれっ気があふれている」(横関英一『江戸の坂 東京の坂(全)』ちくま学芸文庫、2010年)。坂の上から富士が見えれば富士見坂、海が見えれば潮見坂。大きな坂は大坂で、坂と坂の中間は中坂。樹木で薄暗い坂は暗闇坂、急な坂は胸突坂、墓地のそばは幽霊坂。寺のそばの坂は寺の名前を付け、お宮のそばはお宮の名前を付ける、八幡様があれば八幡坂、稲荷があれば稲荷坂、天神社なら天神坂。武家屋敷があれば、三宅土佐守は三宅坂、紀州・尾州・井伊邸のそばの坂はひっくるめて紀尾井坂。

大妻学院のある千代田区三番町のまわりにも、袖摺坂(そですりざか)、五味坂、永井坂、九段坂、一口坂などがあります。袖摺坂とはしゃれた名前ですが、「袖摺坂というのは、いずれも狭い坂のことで、人と人とが行き交う場合に、狭いので袖をすり合わせるようにしないと、お互いに行き過ぎることができない、というような狭い坂のことをいったのである」と、横関英一は江戸時代の文献を根拠に説明しています。神田川を渡った神楽坂についても、この坂で神楽が奏されたという説に対して、河岸の荷物を水揚げする「かるこ」という人夫から転じたのではという説を出しています。名前の由来を考えるのも、坂道散歩の楽しみの一つでしょう。

東京は、水の都でもあります。江戸版画でも、墨田川や水辺の風景、両国の花火、橋の模様などが、廣重をはじめとする多くの版画家によって描かれてきました。近代以降も、墨田川や日本橋川、月島や芝浦は、セーヌ川やテムズ川、あるいはベネチアと比較されながら、その役割の変遷が検討されてきました。最近では、世界的なウォーターフロントの再開発との比較も行われています。水都東京の再生が語られるようになった現在、この辺りを散歩するのも楽しいかもしれません。先に紹介した幸田露伴「水の東京」(『一国の首都』岩波文庫、収録)や陣内秀信『水の都市 江戸・東京』(講談社、2013年)、同『水都東京 地形と歴史で読みとく下町・山の手・郊外』(ちくま新書、2020年)を片手に、水辺散策を楽しんでみませんか。

学長  伊藤 正直