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【学長通信】「ものづくり」の力

学長通信

この10年間、日本経済の停滞や国際競争力の弱化がしばしば語られています。GDP(国内総生産)の長期低迷が続いている、貿易収支が数十年ぶりに赤字化した、政府債務の残高は1,000兆円を超し国債の過半が日本銀行保有となっている、超低金利が10年以上続き、金利機能が働かなくなった、などなど。

実際、1人当たりGDP(名目)の国際比較を見ても、日本の国際ランクは2000年の世界第2位から2022年には32位まで落ちました(IMF統計、2023年10月発表)。円ドル為替レートも、2011年10月の77円から2023年10月には150円となり、円の対外価値は半分まで落ち込みました。貿易収支の赤字も、円安による食料・原燃料輸入価格の高騰、同時に、それまで働いていた円安による輸出促進効果が、日本企業のグローバル化の進展によって以前ほど働かなくなったことの反映です。

日本経済の停滞、国際競争力弱化の原因として、日本の「ものづくりの衰退」「ものづくりの劣化」が、近年指摘されます。確かに、2010年代に入ってから、国内液晶テレビ産業は急速に競争力を失ったし、エレクトロニクス企業は巨額の赤字を計上しています。また、世界中で急速に進展しているEV(電気自動車)の開発でも、わが国は大きく立ち遅れています。ICTの世界でも、いわゆるGAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフト)などの米国企業が、多数のベンチャー企業やサプライヤーと産業システムを構築しているのに対し、日本にはプラットフォームの盟主企業は全く存在しません。「ものづくりの衰退」、「ものづくりの劣化」は本当のように見えます。でも、本当でしょうか。

1970年代初めのドル・ショックとオイル・ショックを契機に、世界経済の安定的成長は終わりをつげ、先進諸国はいずれもスタグフレーション(不況とインフレの併存)に陥りました。そうしたなかで、1974年に-0.2%というマイナス成長を戦後初めて記録したにもかかわらず、その後は日本のみ5%成長を持続し、80年代には「ジャパン・アズ・No.1」といわれたり、「日出ずる 日本」という特集が、ロンドンエコノミストで組まれたりするようになりました。

他の先進諸国と比較したこの時期の日本経済の堅調は、内需と外需の持続的拡大によってもたらされました。なかでも外需=輸出の伸びは著しく、輸出額は1973年の 369億ドルから、1979年には1,000億ドルの大台を突破し、1984、85年合計の貿易黒字額も1,000億ドルを超えるまでになりました。輸出の主力となったのは、機械機器で、1960年代には20~40%であった輸出総額に占める機械機器の比率は、1975年には54%、1980年には63%と単独で過半を制するまでになりました。自動車・オートバイ等の輸送機械、ラジオ・テレビ、DVD等の電気機械、自動車用エンジン・事務機器・工作機械等の一般機械が、世界に送り出されたのでした。

こうした急激な輸出の拡大をもたらしたのは、合理化による生産性の上昇やコスト引下げによる輸出単価の切下げ、QC(品質管理)による製品品質の改善、製品の高加工度化・技術集約化などにありました。企業の研究開発部署や生産現場、つまり「ものづくりの現場」での、技術者や現場社員たちの努力と苦闘の成果という部分が、結構大きかったということができます。

こうした「ものづくりの現場」を幅広く取材し、基盤技術や応用技術の研究と開発、生産現場での製品への移転の実像を明らかにしたルポライターが内橋克人でした。その作業は、内橋克人『匠の時代』全12巻(講談社文庫、1982~1991年)にまとめられました。1978年3月から1987年7月まで「夕刊フジ」に連載されたものを大幅に加筆して書籍化したものですが、残念ながら絶版となっています。ただし、その中身はセレクトして再編集され、現在でも、内橋克人『新匠の時代』全6巻(岩波現代文庫、2011年)で読むことができます。

そこで取り上げられたのは、例えば、セイコーのクオーツ時計、シャープ、カシオ等の小型軽量化電卓、小西六の世界初「自動焦点カメラ」、東レの天然皮と同じ繊維構造を持つ人工皮革エクセーヌ、三菱電機のふとん乾燥機、東芝のカナ漢字変換ワープロ、本田技研の世界初の「4輪操舵」自動車、国鉄の東海道新幹線・青函トンネル・ATS開発、クラレと倉敷中央病院の人工補助肝臓、東レと東京女子医科大学の人工透析装置、ミノルタの一眼レフカメラ自動焦点装置などさまざまです。夕刊フジの連載時には、この他にも、松下電器のDDモーター・センサー・ファクシミリ、ミサワホームの完全プレハブ住宅、各種企業の海外事業活動やグローバル戦略、住友銀行の国際戦略なども取り上げられました。いずれも現場の取組み、現場の闘いに焦点が合わされています。読んでいると、1970年代から80年代にかけての時期の、研究開発現場、生産現場の取組みの深さと持続力に圧倒されます。

それから40年、そうした現場の取組みは、現在どのようになっているのでしょうか。「ものづくり」の衰退や劣化が表面化しているのでしょうか。政府の発表している『2023年版 ものづくり白書』(2023年6月)は、日本の現状を次のように把握しています。「日本は現場の高度なオペレーション・熟練技能者の存在によって、現場の部分最適・高い生産性」という強みを現在も保持している。しかし「企業間のデータ連携・可視化の取組みができている製造事業者は2割程度」で、欧米のような「データ連携や生産技術のデジタル化・標準化」「サプライチェーンの最適化」と比べるとかなりの立ち遅れが見られる。従って、現在求められているのは、サプライチェーンの最適化、DXに向けた投資の拡大・イノベーションの推進であり、これを通して「生産性向上・利益の増加につなげ、所得への還元を実現する好循環を創出することが重要」というのです。

研究者の立場から、製造業=ものづくりの重要性を一貫して主張してきた藤本隆宏も「ものづくりは付加価値の流れづくりが基本」という観点に立って、「IoT・AI・ロボット等の普及ありきの議論は、あまり良い成果を生まない」と批判を加えています(藤本隆宏「昨今の根拠の怪しいものづくり論議を批判する(1)(2)(3)」『赤門マネジメントレビュー』19巻3号、4号、5号、2020年)。日本の現場のものづくりの力は、決して劣化していないし、衰退もしていないというのです。しかし、その力が生かされていないのも現状です。サプライチェーンやシステムの改革が必要だとするなら、それをどのように現場とつなげていくかを、より具体的に示すことが求められています。

学長  伊藤 正直