学長スピーチ集 | 大妻女子大学  
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学長スピーチ集

2021年度

学長メッセージ

覚えるのではなく、考えること大学教育の第一歩はここにある

21世紀も20年を超えました。この間、社会や環境は世界的な規模で急速な変化の時代を迎えています。本学の創立者大妻コタカが、裁縫・手芸の私塾を開いたのは1908年、20世紀のとば口に立った時のことでした。20世紀の世界も、大きな変化を体験しました。そうしたなかで、本学は、「女性の自立のための女子一貫教育」を建学の理念とし、豊かな教養と思いやりの心を持ち合わせた女性、実技実学を身につけ、社会において指導的役割を果たせる専門職業人たる女性を育成することを課題として、教育実践を進めてきました。
初中等教育と同様、高等教育も社会から負託されたものである以上、社会の変化に対応することが要請されるのは勿(もち)論ですが、社会や環境が変化しても変わりなく追求されなくてはならないものもあります。それは、自分の頭で考える、主体的に物事を捉え、自己決定できるようにする、そうした力を、大学での教育を通して身につけることです。覚えるのではなく、考えること、これは社会や環境がどのように変化しようと変わるものではありません。大学教育の第一歩はここにあります。
それと同時に、大学教育は、社会や環境の変化に的確に対応できるものでなくてはなりません。リーマン・ショック後、格差の拡大などを背景として、ブレクジット、トランプ旋風、移民排斥など、反グローバリズムが、反転・登場したかのようにみえます。新型コロナ感染症の世界的蔓(まん)延も、この動きを加速しているようです。しかし、ヒト・モノ・カネ・情報が国境を越えて相互浸透していく、という世界の流れは、長い目で見ればとどまることはありません。現在求められている「実技実学」は、こうした流れに対応した新しい専門的知識や技術です。本学では、学生の皆さんがこうした力を身につけることにも注力しています。
本学は、家政学部、文学部、社会情報学部、人間関係学部、比較文化学部の5学部および短期大学部、大学院人間文化研究科からなる総合大学です。多くの皆さんが、本校を目指して下さることを心より願っています。

2021年4月
学長 伊藤正直

入学式式辞

新入生の皆さん入学おめでとうございます。大妻女子大学の教職員を代表して、心よりお祝い申し上げます。ご列席の御父母、ご家族の皆さまにも、お嬢様のご入学、心よりお慶び申し上げます。

大妻女子大学は、今から100年以上前の1908年、明治41年、大妻コタカによって、裁縫・手芸の私塾として呱々(ここ)の声をあげました。それから113年、現在では、本学は、家政学部、文学部、社会情報学部、人間関係学部、比較文化学部の5学部、短期大学部、大学院人間文化研究科を抱える総合大学となっています。

コタカが私塾を始めた113年前とは、一体どのような時代だったのでしょうか。当時の日本は、日清戦争、日露戦争を経て、資本主義国として確立していくさなかにありました。日露戦争は、日本の実力から言ってやや無理な戦争でもあったため、日本は日露戦後不況と呼ばれる不況に苦しんでいました。にもかかわらず、あるいは、そうであるからこそ、コタカは、女性が職業を身に付け、家族や社会を支える一員となることの大事さを強く認識したといえるでしょう。それまでの女子教育機関は、いわばエリートによるエリートのための教育機関でした。それに対し、コタカは、不況の中で苦しんでいる普通の家庭、何ら特別でない普通の女性が、社会の中できちんとした生活を営むにはどうしたらよいか、そして普通の女性が社会的に自立するとはどういうことか、そうしたことを考え続けて、大妻技芸学校の設立を決意したのです。本学は、創立以来「女性の自立のための女子一貫教育」を建学の精神としていますが、その「自立」の根源には、こうした若き日の大妻コタカの独自の考え方と強い意思があったということができるでしょう。

では、「自立」とは、どのようなものでしょうか。手に職を付けること、仕事に就くこと、言い換えると、自分で稼げる「経済的自立」こそが「自立」の本質と捉えられがちです。しかし、本学の創立者、大妻コタカは、「自ら学ぶ」こと、「社会に貢献できる力を身に付ける」こと、「その力を広く世の中で発揮していく」ことが、「女性の自立」につながると考えていました。コタカは、私塾をはじめてから9年後、この私塾を大妻技芸学校としますが、その際に「恥を知れ」という校訓を制定しました。これは、現在、しばしば口にされる他人に対しての言葉ではなく、「自分を高め、自分の良心に恥ずる行いをするな」という自分への言葉でした。

まず、「自己を正しく認識する」こと、そのために「自ら学ぶ」こと、「精神的な自立」を実現することが大切だと、コタカは考えたのです。「精神的自立」が「経済的自立」や「社会的自立」の前提としてとらえられているのです。自分で考え、自分で決定できるようにすること、主体的に物事をとらえられるような豊かな人格を形成することが、「女性の自立」のための条件なのです。

もちろん、本学では、実技実学も重視しています。実技実学は、社会において専門職業人となっていくためには不可欠なものです。しかし、ここでも、単純に、技術や技能を教える、知識を付与するのではなく、広い意味での「実践知」を身に付けることが重要だと考えていました。「実践知」、これはもともとのギリシャ語では、「深い思慮」という意味でした。現実の社会に直面した時に、それまでのやり方に拘泥するのではなく、あるいは、頭の中の思い込みだけで対応しようとするのでもなく、現実を的確に把握し、弾力的かつ創造的に物事に対処できる力が「実践知」です。

本学の教育理念は以上のようなものですが、私たちは、皆さんに、これからの大学生活を意義あるものにしてもらいたいと心より願っています。そして、意義ある大学生活を送っていくために、いくつかのことを皆さんに期待したいと思います。

ひとつは、主体的に物事を考えて欲しいということです。高校までと違って、大学での勉強は、物事を知る、という以前に、どのように物事を考えるかという、考え方を学ぶ場という特徴があります。正解がないことを勉強するのが、大学での勉強だということもできます。論語に、「思うて学ばざれば則ち殆(あや)うし、学びて思わざれば則ち罔(くら)し」という言葉があります。あれこれ考えるだけで、きちんと知識を蓄えなければ正しい判断はできない、知識を蓄えてもどのように考えるかを知っていないと正しい結論を得ることはできない、という意味です。

論語からもうひとつ引用します。「之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」という言葉です。あることについて知識をもっている人、理解している人は、それを好きな人にはかなわない。それを好きな人も、それを楽しんでいる人にはかなわない、という意味です。大学に入学したら、どうか好きな勉強の対象を見つけ、それを楽しむようにしてください。勉強は、本来は、そうした楽しいものですから。

ふたつは、これからの勉強を社会の動きと関連させながら進めていって欲しいということです。昨年1年間、世界は、新型コロナウイルス感染症COVID-19という厄災のただなかにありました。そして、その厄災は現在も収束していません。じつは、世界保健機構WHOは1980年に天然痘を根絶したと宣言し、今後すべての感染症を孤立させ治療するのに十分な医学上の努力が世界的規模で実行されれば、すべての感染症を根絶させることができると宣言しました。しかし、その後も、1980年代からのHIV(エイズ)、2002年のSARS、2009年の新型インフルエンザ、そして今回の新型コロナと、ウイルスによる感染症はたびたび人類を襲い、残念ながらその根絶にはいまだに成功していません。

コロナ感染症が世界的なものであったため、国境が封鎖されたり、出入国が制限されたりしました。多くの都市でロックダウンが行われ、劇場、ホール、学校など多くの人々が集まる場所が閉鎖され、飲食店などの営業が制限されました。それらは、コロナ禍を収束させるために必要とされる措置でしたが、そのことは同時にさまざまの社会活動、経済活動を制限させることになります。この両者の兼ね合いをどのようにとっていくかが問われることになります。その判断は誰が行うのでしょうか。今回の緊急事態宣言やその解除に見られるように、一義的には、専門家、政策担当者がその判断を行うことになります。では、その判断を、専門家、政策担当者に完全に任せてしまってよいのでしょうか。

科学が高度に発展してくると、それぞれの科学は、それぞれのグラマー、ロジック、レトリックによって進められることになります。非専門家が持つリテラシー、日常生活の基礎にあるグラマー、ロジック、レトリックは、科学のそれぞれの専門領域と共通言語を持てなくなります。とはいうものの、非専門家、つまり一般の人々は、その適否について判断することが要請されるようになっています。なぜかといえば、現代の科学技術と私たちの生活との関係は、以前とは異なるものになっているからです。科学技術の発展は、私たちの生活にさまざまな進歩をもたらしましたが、反面、負の影響をももたらしており、科学技術の発展が人類を幸せにするものだとは、もはやナイーブに信じることはできなくなっているのが現代です。

私たちはただユーザーとして技術の使い方を習得していればよいというものではなく、そのような技術は果たして自分たちにとって本当によいものなのか、そのような技術を使うことが倫理的に正しい選択であるのかなどまで判断をせまられるようになっています。科学者の社会的責任とはなんなのかという問題、市民と科学との健全な関係とはどんなものかという問題を、今回の新型コロナウイルス感染症の拡大は改めて提示しています。学問は、どのような領域でも、そのそれぞれに、グラマー、ロジック、レトリックがあります。日本語のグラマー、ロジック、レトリック、英語のグラマー、ロジック、レトリックがあるように、家政学にも、文学にも、経済学にも、社会学にも、心理学にも、それぞれ固有のグラマー、ロジック、レトリックがあります。皆さん、卒業するまでに、ぜひ、このグラマー、ロジック、レトリックを身に付けてください。

「何のために勉強するのか」と問われた時、直ちに答えをだせないかもしれません。ある程度答えがわかっているようでも、勉強している内容に興味と関心を持てないかもしれません。しかし、皆さんのこれまでの勉強、これからの勉強は、よりよき暮らし、よりよき生き方を考える時、必ず役に立ちます。そして、国家間・国内間の過度の格差の拡大は、よりよき暮らし、よりよき生き方を遂行していく前提条件を壊します。ですから、自分たちの暮らしが社会のどことどうかかわっているのかを常に考えながら、自分たちの勉強を進めていって欲しいと思います。

みっつは、大学生活のなかで、先輩、同輩、後輩とよい関係をつくって欲しい、ということです。さきほど、「自立」とは何かということをお話ししました。精神的自立は、まず個の自立であり、個の確立です。しかし、このことは、自分さえよければいいということを意味するものでは全くありません。「他者との関係のなかで、自己を見つめ直し、相互の力を生かし合い、自己実現できる人間として自立すること」、これこそが本来の自立です。種々の人間関係のなかで、自分の位置をきちんと確立して欲しい、そして、ひとに共感する能力を培って欲しい。ひとの喜びを喜びとし、ひとの悲しみを悲しみとし、ひとの怒りを怒りとできる人になって欲しい。そのように私たちは考えています。

大学で勉強することによって、皆さんには、これまで見えなかった世界が新しくみえるようになってきます。また、見えるようになって欲しいと私たちは考えています。改めて新入生の入学をお祝いし、皆さんのこれからの大学生活が、実り多いものとなることを祈念して、私の式辞といたします。皆さん、本日は誠におめでとうございます。

2021年4月
大妻女子大学 大妻女子大学短期大学部
学長 伊藤正直

2020年度

卒業式式辞

本日、大妻女子大学を卒業される皆さん、ご卒業まことにおめでとうございます。大妻女子大学の教職員一同とともに、皆さんに心よりお祝いを申し上げます。また、長い間、お嬢様方の本学での勉学をお支えいただきましたご家族や関係者の皆さまにも、お礼とお祝いを申し上げます。コロナ禍がなかなか収束せず、緊急事態宣言が解除されないという状況ですが、今年は、卒業式を2回に分けて開催するという形で、今日この日を迎えることができました。
この1年間は、皆さんにとって大変な1年間だったと思います。他の多くの大学と同様、本学でも、入学式の中止に始まり、緊急事態宣言の発出に伴う前期開講の延期、オンライン講義への全面移行、クラブ活動・課外活動の中止、留学派遣・受入れの中止・延期などを決定せざるを得ませんでした。ほぼすべての講義を、オンライン、オンデマンドで遠隔授業として行うことは、本学では初めての試みでした。準備の過程でも、実施してからも多くの試行錯誤が繰り返されました。
教員サイドでは、オンライン対策委員会を設置し、「オンライン授業実施ガイド」「オンライン授業マニュアル」などを作成し、あわせてオンライン授業講習会を開催しました。各学部にオンライン対策委員を配置して、教員のさまざまの希望や要請を学部・学科で共有できる体制を作ることに努めるとともに、従来からあるmanaba、UNIPAなどの学生用ネットシステムを利用して、講義の内容に対応したいくつかのタイプのオンライン講義形式を選択できるようにしました。
学生の皆さんにとっても新しい経験で、さまざまのご苦労を掛けたと思います。大学としても、情報通信環境の確保、プライバシー保護、新入生対策と経済的・精神的支援など、学生の皆さんが新たな環境に適応できるよう努力を積み重ねました。すなわち、通信環境整備の補助として、約8,000名の学生全員に一律5万円の学生支援緊急給付金を給付するととともに、希望する学生に対してノートパソコンの貸与を行いました。また、対面型の授業とは異なった双方向実現の工夫、オンライン講義のなかでの学生プライバシー保護の徹底に努めました。これと並行して、安全衛生を徹底しつつ、9月に改めて新入生向けの対面オリエンテーションを開催し、また、基礎演習などを対面でも開催するようにしました。
コロナ禍のなかで、小中高が、早い時期に対面授業を再開したこともあって、大学でも対面を再開してほしいという要望も寄せられました。しかし、大学には、小中高とは異なる困難がありました。小中等教育は、学習指導要領があり、単元毎に授業が進むようになっています。クラスの人数もほぼ一定です。カリキュラムは、学年単位で構成され、クラスごとの各科目の進度もおよそ同様です。これに対して、大学は、授業によって参加人数は、大きく異なります。一桁の実験系授業、10人レベルのゼミ、数十人レベルの実技系、数百人単位の大教室講義が混在し、さらに、カリキュラム登録はすべて個人単位でなされます。講義の学年配当はありますが、多くは複数学年にわたって受講可能です。ですので、対面とオンラインを混在させた形のカリキュラムを組むことは、著しく困難です。仮に、対面とオンラインが混在しないように時間割が作成できたとしても、登校したすべての学生が学内でオンラインを受講できるよう学習スペース、Wi-Fi環境などの学内インフラを整備しなくてはなりません。こうした困難の中で、なんとか円滑なオンライン講義を実施する努力を積み重ねてきました。
こうした困難が続いた中で、皆さんの頑張りにより、無事単位を修得して卒業を迎えられたことを改めて喜びたいと思います。これから皆さんは、新しい環境で新しい生活をスタートさせることになります。会社員になる人もいるでしょう。公務員になる人もいるでしょう。幼稚園や小学校、中学校の先生になる人もいるでしょう。自営業に就く人もいるでしょう。大学院に進学する人もいるでしょう。皆さんは、新しい環境で、新しい仕事を覚え、新しい人間関係をつくっていくことになります。
21世紀に入って、わが国の女性の仕事をめぐる環境は大きく変化しました。日本の女性就業構造の特徴とされたM型雇用、すなわち大学や短大を卒業して就職したのち、結婚や出産を機にいったん退職し、子供が一定の成長を遂げたのちに、もう一度働きに出るというM型雇用は、ほぼ解消に近づき、定年まで働く女性が増えています。グローバル化とAIの進展を背景に、これまで存在していた総合職と一般職という女性の職種区分も急激に縮小しています。
これまで続いているコロナ禍は、こうした女性の仕事をめぐる状況をどのような方向に変えていくでしょうか。その見通しは、現在の時点では必ずしもはっきりしていません。コロナ禍に始まったテレワークは、コロナ禍が収束しても一定程度は続くでしょう。一般職の縮小は加速するでしょうし、派遣や契約といった非正規就業はさらに増えるかもしれません、あるいは、大幅に減っていくかもしれません。いずれにせよ、女性が働きやすく生きやすい社会に変えていくことが必要です。本学もそうした努力を続けたいと考えていますが、その時に指標となるのは、創設者大妻コタカの「女性の自立」という考え方です。
「女性の自立」は、まずは、性差による差別を克服するような自立といえるでしょうが、目指してほしいのはその先です。「女性の自立」が「人間としての自立」であること、自己の尊厳を守る形での自立であること、すなわち「経済的自立」は、あくまで「精神的自立」を前提としたものであること、こうした自立を皆さんに追求していって欲しいのです。
そして、願わくは、そうした自立が、他の人々への強い共感に支えられたものであって欲しいと思います。他人の喜びを自分の喜びとし、他人の悲しみを自分の悲しみとし、他人の怒りを自分の怒りとできるよう、望みます。そして、これこそが、コタカの精神、コタカの望んだ生き方であったと思います。
これから、皆さんが社会に飛び立つと、うれしいこと、楽しいこととともに、悲しいことやつらいことが、きっと起きてきます。そうしたときは、いつでも大学を訪ねてください。皆さんの母校は、皆さんの悩みや願いを、いつでも聞き入れ、少しでも力になれるよう努力します。
皆さんが、今後、多様な場で活躍されることを心から期待して、卒業のお祝いの言葉としたいと思います。
ご卒業おめでとうございます。

2021年3月20日
大妻女子大学 大妻女子大学短期大学部
学長 伊藤正直

入学式式辞

新入生の皆さん入学おめでとうございます。大妻女子大学の教職員を代表して、心よりお祝い申し上げます。御父母、ご家族の皆様にも、お嬢様のご入学、心よりお慶び申し上げます。
大妻女子大学は、今から100年以上前の1908年、明治41年、大妻コタカによって、裁縫・手芸の私塾として呱々(ここ)の声をあげました。それから112年、現在では、本学は、家政学部、文学部、社会情報学部、人間関係学部、比較文化学部の5学部、短期大学部、大学院人間文化研究科を抱える総合大学となっています。
コタカが私塾を始めた112年前とは、一体どのような時代だったのでしょうか。当時の日本は、日清戦争、日露戦争を経て、資本主義国として確立していくさなかにありました。
日露戦争は、日本の実力から言ってやや無理な戦争でもあったため、日本は日露戦後不況と呼ばれる不況に苦しんでいました。にもかかわらず、あるいは、そうであるからこそ、コタカは、女性が職業を身に付け、家族や社会を支える一員となることの大事さを強く認識したといえるでしょう。それまでの女子教育機関は、いわばエリートによるエリートのための教育機関でした。それに対し、コタカは、不況の中で苦しんでいる普通の家庭、何ら特別でない普通の女性が、社会の中できちんとした生活を営むにはどうしたらよいか、そして普通の女性が社会的に自立するとはどういうことか、そうしたことを考え続けて、大妻技芸学校の設立を決意したのです。本学は、創立以来「女性の自立のための女子一貫教育」を建学の精神としていますが、その「自立」の根源には、こうした若き日の大妻コタカの独自の考え方と強い意思があったということができるでしょう。
では、「自立」とは、どのようなものでしょうか。手に職を身に付けること、仕事に就くこと、言い換えると、自分で稼げる「経済的自立」こそが「自立」の本質と捉えられがちです。しかし、本学の創立者、大妻コタカは、「自ら学ぶ」こと、「社会に貢献できる力を身に付ける」こと、「その力を広く世の中で発揮していく」ことが、「女性の自立」につながると考えていました。コタカは、私塾をはじめてから10年後、この私塾を大妻技芸学校としますが、その際に「恥を知れ」という校訓を制定しました。これは、現在、しばしば口にされる他人に対しての言葉ではなく、「自分を高め、自分の良心に恥ずる行いをするな」という自分への言葉でした。
まず、「自己を正しく認識する」こと、そのために「自ら学ぶ」こと、「精神的な自立」を実現することが大切だと、コタカは考えたのです。「精神的自立」が「経済的自立」や「社会的自立」の前提としてとらえられているのです。自分で考え、自分で決定できるようにすること、主体的に物事をとらえられるような豊かな人格を形成することが、「女性の自立」のための条件なのです。
もちろん、本学では、実技実学も重視しています。実技実学は、社会において専門職業人となっていくためには不可欠なものです。しかし、ここでも、単純に、技術や技能を教える、知識を付与するのではなく、広い意味での「実践知」を身につけることが重要だと考えていました。「実践知」、これはもともとのギリシャ語では、「深い思慮」という意味でした。現実の社会に直面した時に、それまでのやり方に拘泥するのではなく、あるいは、頭の中の思い込みだけで対応しようとするのでもなく、現実を的確に把握し、弾力的かつ創造的に物事に対処できる力が「実践知」です。
本学の教育理念は以上のようなものですが、私たちは、皆さんに、これからの大学生活を意義あるものにしてもらいたいと心より願っています。そして、意義ある大学生活を送っていくために、いくつかのことを皆さんに期待したいと思います。
ひとつは、主体的にものごとを考えて欲しいということです。高校までと違って、大学での勉強は、ものごとを知る、という以前に、どのように物事を考えるかという、考え方を学ぶ場という特徴があります。正解がないことを勉強するのが、大学での勉強だということもできます。論語に、「学んで思わざれば則ち罔(くら)し、思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し」という言葉があります。あれこれ考えるだけで、きちんと知識を蓄えなければ正しい判断はできない、知識を蓄えてもどのように考えるかを知っていないと正しい結論を得ることはできない、という意味です。学問は、どのような領域でも、そのそれぞれに、グラマー、ロジック、レトリックがあります。日本語のグラマー、ロジック、レトリック、英語のグラマー、ロジック、レトリックがあるように、家政学にも、文学にも、経済学にも、社会学にも、心理学にも、それぞれ固有のグラマー、ロジック、レトリックがあります。皆さん、卒業するまでに、ぜひ、このグラマー、ロジック、レトリックを身に付けてください。 論語からもうひとつ引用します。「之れを知る者は之れを好むものに如かず。之れを好む者は之れを楽しむ者に如かず」という言葉です。あることについて知識をもっている人、理解している人は、それを好きな人にはかなわない。それを好きな人も、それを楽しんでいる人にはかなわない、という意味です。大学に入学したら、どうか好きな勉強の対象を見つけ、それを楽しむようにしてください。勉強は、本来は、そうした楽しいものですから。
ふたつは、これからの勉強を社会の動きと関連させながら進めていって欲しいということです。グローバル化を、ヒト、モノ、カネ、情報の国境を越えた相互浸透と考えるならば、この30年の間に、グローバル化は持続的に進んだということができます。アメリカトランプ政権の高関税政策、イギリスジョンソン政権のEU離脱、大陸ヨーロッパ諸国の移民排斥などの反転現象が続いているとはいえ、大きく見れば、この流れはとどまることなく続いています。問題は、そうしたなかで、国家間、国内間の経済的格差が大きく拡大していることです。最近、SDGs(エスディジーズ)という言葉があちこちで聞かれます。2015年の国連サミットで採択され、2030 年までの15年間に取り組むべきさまざまの目標を掲げた「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称です。2001年に国連で策定された MDGs(Millennium Development Goals)を引き継いだものですが、MDGs が開発途上国を対象としていたのに対し、SDGs の方は、先進国を含めたすべての国が追求すべき17の目標、その下に169のターゲットを掲げています。その17の目標は、①貧困をなくそう、②飢餓をゼロに、③すべての人に健康と福祉を、④質の高い教育をみんなに、⑤ジェンダー平等を実現しよう、⑥安全な水とトイレを世界中に、⑦エネルギーをみんなにそしてクリーンに、⑧働きがいも経済成長も、⑨産業と技術革新の基盤を作ろう、⑩人や国の不平等をなくそう、⑪住み続けられるまちづくりを、⑫つくる責任つかう責任、⑬気候変動に具体的な対策を、⑭海の豊かさを守ろう、⑮陸の豊かさも守ろう、⑯平和と公正をすべての人に、⑰パートナーシップで目標を達成しよう、というものです。
ここから明らかなように、ここでいわれている「持続的な開発」とは、人間開発のことです。国連は次のように言っています。「開発は、人々が大切だと思う生活が送れるように各自の選択肢を広げることである。…こうした選択肢を拡大する上において、何にもまして重要なのは、人間の能力を育てること、つまり人が人生において行い得る、あるいはなり得る事柄を全体として築き上げることである。…人間開発の目的は、人間の自由である。そして、能力を追求し人権を確立するうえで、この自由は不可欠である。自分で選択をし、自らの人生に影響を及ぼす意思決定に参加するためには、人は自由でなければならない。」
わたしたちは、皆さんにこうした問題についても関心を持って欲しいと考えています。皆さんは、大学での勉強は、こうした社会の動き、世界の動きと関係がないと思っておられるかもしれません。しかし、皆さんが高校で学んできたこと、そしてこれから学ぶことのすべては、社会とのかかわり抜きにはありえません。「何のために勉強するのか」と問われた時、直ちに答えをだせないかもしれません。ある程度答えがわかっているようでも、勉強している内容に興味と関心を持てないかもしれません。しかし、皆さんのこれまでの勉強、これからの勉強は、よりよき暮らし、よりよき生き方を考える時、必ず役に立ちます。そして、国家間・国内間の過度の格差の拡大は、よりよき暮らし、よりよき生き方を遂行していく前提条件を壊します。ですから、自分たちの暮らしが社会のどことどうかかわっているのかを常に考えながら、自分たちの勉強を進めていって欲しいと思います。
みっつは、大学生活のなかで、先輩、同輩、後輩とよい関係をつくって欲しい、ということです。さきほど、「自立」とは何かということをお話ししました。精神的自立は、まず個の自立であり、個の確立です。しかし、このことは、自分さえよければいいということを意味するものでは全くありません。「他者との関係のなかで、自己を見つめ直し、相互の力を生かし合い、自己実現できる人間として自立すること」、これこそが本来の自立です。種々の人間関係のなかで、自分の位置をきちんと確立して欲しい、そして、ひとに共感する能力を培って欲しい。ひとの喜びを喜びとし、ひとの悲しみを悲しみとし、ひとの怒りを怒りとできる人になって欲しい。そのように私たちは考えています。
大学で勉強することによって、皆さんには、これまで見えなかった世界が新しく見えるようになってきます。また、見えるようになって欲しいと私たちは考えています。改めて新入生の入学をお祝いし、皆さんのこれからの大学生活が、実り多いものとなることを祈念して、私の式辞といたします。皆さん、本日はまことにおめでとうございます。

2020年4月4日
大妻女子大学 大妻女子大学短期大学部
学長 伊藤正直

2019年度

卒業式式辞

本日、大妻女子大学を卒業される皆さん、ご卒業まことにおめでとうございます。大妻女子大学の教職員一同とともに、皆さんに心よりお祝いを申し上げます。また、長い間、お嬢様方の本学での勉学をお支えいただきましたご家族や関係者の皆様にも、お礼とお祝いを申し上げます。
皆さんの4年間ないし2年間の学生生活はどうだったでしょうか。大妻女子大で過ごした日々のことを思い出してください。皆さんは、大学にどのような思いや期待、あるいは夢を抱いていたでしょうか。現在、その思いは叶えられたでしょうか。あるいは、全く違った思いや夢を持つようになったでしょうか。
これから皆さんは、新しい環境で新しい生活をスタートさせることになります。会社員になる人もいるでしょう。公務員になる人もいるでしょう。保育士さん、幼稚園や学校の先生になる人もいるでしょう。大学院に進学する人もいるでしょう。皆さんは、新しい環境で、新しい仕事を覚え、新しい人間関係をつくっていくことになります。
21世紀に入って、わが国の女性の仕事をめぐる環境は大きく変化しました。日本の女性就業構造の特徴とされた M 型雇用、すなわち大学や短大を卒業して就職したのち、結婚や出産を機にいったん退職し、子供が一定の成長を遂げたのちに、もう一度働きに出るというM型雇用は、ほぼ解消に近づき、定年まで働く女性が増えています。グローバル化とAIの進展を背景に、これまで存在していた総合職と一般職という女性の職種区分も急激に縮小しています。
1999年6月には男女共同参画基本法が成立し、「職場、家庭、地域などのあらゆる場で、男女が対等の立場であらゆる分野の政策立案や決定に参画できる社会を実現する」という課題が掲げられました。2015年8月には女性活躍推進法が成立し、「自らの意思によって働き又は働こうとする女性が、その思いを叶えることができる社会、ひいては、男女がともに、多様な生き方、働き方を実現でき、ゆとりがある豊かで活力あふれる社会の実現を図る」ことを課題としています。女性たちの活躍の場を広げていこうという方向が、政策としては、21世紀に入ってはっきり示されるようになったということができます。
眼を世界に広げれば、女性の活躍の場は、さまざまな領域で広がっています。昨年12月、フィンランドでは、34歳のサンナ・マリン氏が新首相に選出され、女性主導の内閣が誕生しました。ドイツのメルケル首相ほか、バングラディシュ、ノルウェー、ナミビア、ミャンマー、セルビア、アイスランド、バルバドス、デンマーク、ベルギーでも、現役の女性首相が活躍しており、ネパール、中華民国、エストニア、シンガポール、トリニダード・トバゴ、エチオピア、ジョージア、スロバキア、ボリビア、ギリシャでは、女性が現役の大統領です。
経済の世界でも、IMF の専務理事からヨーロッパ中央銀行ECBの総裁に転じたクリスティーヌ・ラガルド、アメリカ連邦準備制度理事会FRB前議長のジャネット・イエレン、YouTubeCEO のスーザン・ウォジスキ、FacebookCOO のシェリル・サンドバーク、GMCEOのメアリー・バーバラなど、多くの女性が活躍しています。研究の世界でも、女性の活躍は大きく進んでおり、アメリカ、カナダ、EU、オーストラリアなどの主要12地域中9地域で、女性研究者の割合が 40%を超えるまでになっています。
こうした世界の動向のなかで、残念ながら、日本は、やや立ち遅れを見せています。世界経済フォーラムが国別の男女格差を示すジェンダー・ギャップ指数を毎年発表していますが、昨年12月に発表されたこの指数で、日本は121位となりました。ジェンダー格差が少ない1位から5位までは、アイスランド、ノルウェー、フィンランド、スウェーデン、ニカラグア、その他、ドイツ10位、フランス15位、カナダ19位、英国21位、米国53位、イタリア76位で、日本はG7の中で圧倒的に最下位だったのです。中国は106位、韓国は108位で、日本より上でした。
この指数が、何を指標としているかといいますと、経済面での参加度や参加機会、教育の達成度、健康と生存、政治的活躍度の4つです。このうち、日本は、読み書き能力、初等教育、出生率ではジェンダー・ギャップが最も少ない国、世界1位だったのですが、中等教育、高等教育、労働所得、政治家・経営管理職、教授・専門職、国会議員数ではいずれも100位以下、経済分野でも、賃金格差67位、労働力参加79位、所得108位と、政治や経済の分野での立ち遅れが目立っており、このことが、世界経済フォーラムでは男女格差の大きさと判断されているのです。
こうした現状を克服し、女性が働きやすく生きやすい社会に変えていくことが必要です。
本学もそうした努力を続けたいと考えていますが、その時に指標となるのは、創設者大妻コタカの「女性の自立」という考え方です。100年以上も前、日露戦直後の時期に、コタカは、それまでの「エリート」でもなく、「中流以上の女子」でもなく、社会の中で何ら特別でない、ごくごく普通の女性が「社会的に自立するとはどういうことか」を考え続けて、大妻技芸学校の設立を決意しました。戦前の日本では、女性が社会の中で自分自身を確立することは、現在に比べ、はるかに困難でした。そうした状況の中、コタカは「女性の自立」のための独自の戦い方を、女性が社会に受け入れられやすい手芸・裁縫といった「技芸を身に着ける」ことから始めようとしたのです。本学院は、創立以来「女性の自立のための女子一貫教育」を建学の精神としていますが、その「自立」の根源には、こうした若き日の大妻コタカの独自の考え方と強い意思があったということができるでしょう。
「女性の自立」は、まずは、性差による差別を克服するような自立といえるでしょうが、目指してほしいのはその先です。「女性の自立」が「人間としての自立」であること、自己の尊厳を守る形での自立であること、すなわち「経済的自立」は、あくまで「精神的自立」を前提としたものであること、こうした自立を皆さんに追求していって欲しいのです。
そして、願わくは、そうした自立が、他の人々への強い共感に支えられたものであって欲しいと思います。他人の喜びを自分の喜びとし、他人の悲しみを自分の悲しみとし、他人の怒りを自分の怒りとできるよう、望みます。そして、これこそが、コタカの精神、コタカの望んだ生き方であったと思います。
茨木のり子という詩人に「学校 あの不思議な場所」という詩があります。その一部を読み上げます。

学校 あの不思議な場所
校門をくぐりながら蛇蝎のごとく嫌ったところ
飛びたつと
森のようになつかしいところ
今日もあまたの小さな森で
水仙のような友情が生まれ匂ったりしているだろう
新しい葡萄酒のように
なにかがごちゃまぜに醗酵したりしているだろう
飛びたつ者たち
自由の小鳥になれ
自由の猛禽になれ
(『茨木のり子集 言の葉 1』)

これから、皆さんが社会に飛びたつと、うれしいこと、楽しいこととともに、悲しいことやつらいことが、きっとおきてきます。そうしたときは、いつでも大学を訪ねてください。
皆さんの母校は、皆さんの悩みや願いを、いつでも聞き入れ、少しでも力になれるよう努力します。
皆さんが、今後、多様な場で活躍されることを心から期待して、卒業のお祝いの言葉としたいと思います。
ご卒業おめでとうございます。

2020年3月20日
大妻女子大学 大妻女子大学短期大学部
学長 伊藤正直

入学式式辞

新入生の皆さん入学おめでとうございます。大妻女子大学の教職員を代表して、心よりお祝い申し上げます。ご列席の御父母、ご家族の皆さまにも、お嬢様のご入学、心よりお喜び申し上げます。本日入学された皆さんは、先ほど宣言したように2138名です。
大妻女子大学は、今から100年以上前の1908年、明治41年、大妻コタカによって、裁縫・手芸の私塾として呱々(ここ)の声をあげました。それから111年、現在では、本学は、家政学部、文学部、社会情報学部、人間関係学部、比較文化学部の5学部、短期大学部、大学院人間文化研究科を抱える総合大学となっています。
コタカが私塾を始めた111年前とは、一体どのような時代だったのでしょうか。当時の日本は、日清戦争、日露戦争を経て、資本主義国として確立していくさなかにありました。
日露戦争は、日本の実力から言ってやや無理な戦争でもあったため、日本は日露戦後不況と呼ばれる不況に苦しんでいました。にもかかわらず、あるいは、そうであるからこそ、コタカは、女性が職業を身に付け、家族や社会を支える一員となることの大事さを強く認識したといえるでしょう。それまでの女子教育機関は、いわばエリートによるエリートのための教育機関でした。それに対し、コタカは、不況の中で苦しんでいる普通の家庭、何ら特別でない普通の女性が、社会の中できちんとした生活を営むにはどうしたらよいか、そして普通の女性が社会的に自立するとはどういうことか、そうしたことを考え続けて、大妻技芸学校の設立を決意したのです。
戦前の日本は現在よりもはるかに、階級的格差の強い社会、男女差別の強い社会でした。
女性には選挙権がなく、家制度も男子長子相続制でした。女性が社会の中で自分自身を確立することははるかに困難だったのです。そうした状況の中、コタカは「女性の自立」のための独自の戦い方を、女性が社会に受け入れられやすい「技芸を身に付ける」ことから始めようとしたのです。本学は、創立以来「女性の自立のための女子一貫教育」を建学の精神としていますが、その「自立」の根源には、こうした若き日の大妻コタカの独自の考え方と強い意思があったということができるでしょう。
では、「自立」とは、どのようなものでしょうか。手に職を身に付けること、仕事に就くこと、言い換えると、自分で稼げる「経済的自立」こそが「自立」の本質と捉えられがちです。しかし、本学の創立者、大妻コタカは、「自ら学ぶ」こと、「社会に貢献できる力を身に付ける」こと、「その力を広く世の中で発揮していく」ことが、「女性の自立」につながると考えていました。コタカは、私塾をはじめてから10年後、この私塾を大妻技芸学校としますが、その際に「恥を知れ」という校訓を制定しました。これは、現在、しばしば口にされる他人に対しての言葉ではなく、「自分を高め、自分の良心に恥ずる行いをするな」という自分への言葉でした。
まず、「自己を正しく認識する」こと、そのために「自ら学ぶ」こと、「精神的な自立」を実現することが大切だと、コタカは考えたのです。「精神的自立」が「経済的自立」や「社会的自立」の前提として捉えられているのです。自分で考え、自分で決定できるようにすること、主体的に物事を捉えられるような豊かな人格を形成することが、「女性の自立」のための条件なのです。
もちろん、本学では、実技実学も重視しています。実技実学は、社会において専門職業人となっていくためには不可欠なものです。しかし、ここでも、単純に、技術や技能を教える、知識を付与するのではなく、広い意味での「実践知」を身に付けることが重要だと考えていました。「実践知」、これはもともとのギリシャ語では、「深い思慮」という意味でした。現実の社会に直面した時に、それまでのやり方に拘泥するのではなく、あるいは、頭の中の思い込みだけで対応しようとするのでもなく、現実を的確に把握し、弾力的かつ創造的に物事に対処できる力が「実践知」です。
本学の教育理念は以上のようなものですが、私たちは、皆さんに、これからの大学生活を意義あるものにしてもらいたいと心より願っています。そして、意義ある大学生活を送っていくために、いくつかのことを皆さんに期待したいと思います。
ひとつは、主体的に物事を考えて欲しいということです。高校までと違って、大学での勉強は、物事を知る、という以前に、どのように物事を考えるかという、考え方を学ぶ場という特徴があります。正解がないことを勉強するのが、大学での勉強だということもできます。もちろん、ただ考えればいいという訳ではありません。「反証可能性」という言葉があります。ある発見や発明がなされたとき、別の人が同じ手続きを取れば、あるいは、同じ実験をすれば、同じ結果がでてくる、という意味です。つまり、「私はこう思う」というだけでは駄目で、「私がこう思うことは誰にとってもそうである、ということをきちんと 説明できる」ことが必要です。「考え方を学ぶ」とは、じつはそういうことを学ぶということなのです。そのために必要なものが、グラマー、ロジック、レトリックです。
学問は、どのような領域でも、そのそれぞれに、グラマー、ロジック、レトリックがあります。日本語のグラマー、ロジック、レトリック、英語のグラマー、ロジック、レトリックがあるように、家政学にも、文学にも、経済学にも、社会学にも、心理学にも、それぞれ固有のグラマー、ロジック、レトリックがあります。皆さん、卒業するまでに、ぜひ、このグラマー、ロジック、レトリックを身に付けてください。
ふたつは、これからの勉強を社会の動きと関連させながら進めていって欲しいということです。世界を見回してみると、あちこちで軋(きし)みが激しくなっているように思われます。トランプ政権は、アメリカ第一をますます声高に唱え、中国、ロシアだけでなく、欧州諸国や日本に対しても、高関税を課そうという保護主義を強め、メキシコ国境のフェンス拡大も続いています。イギリスでは、EU離脱のブレクジットを宣言したにもかかわらず、それをどのように実施するかについては、与党保守党内部でも意見が一致していません。大陸ヨーロッパでは、移民排斥の動きが高まり、排外主義を掲げる極右政党が支持を伸ばしています。中東やアフリカでは、民族間、宗派間の対立が激化し、女性や子供に対する暴力が蔓(まん)延しています。そして、国連の統計が明らかにしているように、国家間、国内間の経済的格差も大きく拡大しています。
わたしたちは、皆さんにこうした問題についても関心を持ってほしいと考えています。
皆さんは、大学での勉強は、こうした社会の動き、世界の動きと関係がないと思っておられるかもしれません。しかし、皆さんが高校で学んできたこと、そしてこれから学ぶことのすべては、社会とのかかわり抜きにはありえません。「何のために勉強するのか」と問われた時、直ちに答えをだせないかもしれません。ある程度答えがわかっているようでも、勉強している内容に興味と関心を持てないかもしれません。しかし、皆さんのこれまでの勉強、これからの勉強は、よりよき暮らし、よりよき生き方を考える時、必ず役に立ちます。そして、国家間・国内間の過度の格差の拡大は、よりよき暮らし、よりよき生き方を遂行していく前提条件を壊します。ですから、自分たちの暮らしが社会のどことどうかかわっているのかを常に考えながら、自分たちの勉強を進めていってほしいと思います。
みっつは、大学生活のなかで、先輩、同輩、後輩とよい関係をつくってほしい、ということです。さきほど、「自立」とは何かということをお話ししました。精神的自立は、まず個の自立であり、個の確立です。
しかし、このことは、自分さえよければいいということを意味するものでは全くありません。「他者との関係のなかで、自己を見つめ直し、相互の力を生かし合い、自己実現できる人間として自立すること」、これこそが本来の自立です。
種々の人間関係のなかで、自分の位置をきちんと確立してほしい、そして、ひとに共感する能力を培ってほしい。ひとの喜びを喜びとし、ひとの悲しみを悲しみとし、ひとの怒りを怒りとできる人になってほしい。そのように私たちは考えています。
大学で勉強することによって、皆さんには、これまで見えなかった世界が新しく見えるようになってきます。また、見えるようになってほしいと私たちは考えています。山登りをすると、これまで見えなかった新しい景色がだんだん見えてくるようなものです。小野十三郎の「山頂から」という詩を皆さんに贈ります。

山にのぼると
海は天まであがってくる。
なだれおちるような若葉みどりのなか。
下の方で しずかに
かっこうがないている。
風に吹かれて高いところにたつと
だれでもしぜんに世界のひろさをかんがえる。
ぼくは手を口にあてて
なにか下の方に向かって叫びたくなる。
五月の山は
ぎらぎらと明るくまぶしい。
きみは山頂よりも上に
青い大きな弧をえがく
水平線を見たことがあるか。
(『太陽のうた』昭和 42 年)

どうか皆さん、大学で勉強をすすめることで、それぞれの「広い地上の世界」や「青い大きな弧をえがく水平線」を見てほしいと、心から期待します。改めて新入生の入学をお祝いし、皆さんのこれからの大学生活が、実り多いものとなることを祈念して、私の式辞といたします。皆さん、本日はまことにおめでとうございます。

2019年4月6日
学長 伊藤 正直

2018年度

卒業式式辞

本日、大妻女子大学を卒業される 1959 名の皆さん、ご卒業まことにおめでとうございます。大妻女子大学の教職員一同とともに、皆さんに心よりお祝いを申し上げます。また、長い間、お嬢様方の本学での勉学をお支えいただきましたご家族や関係者の皆さまにも、お礼とお祝いを申し上げます。
皆さんの4年間ないし2年間の学生生活はどうだったでしょうか。大妻女子大で過ごした日々のことを思い出してください。皆さんは、大学にどのような思いや期待、あるいは夢を抱いていたでしょうか。現在、その思いは叶えられたでしょうか。あるいは、全く違った思いや夢を持つようになったでしょうか。
本年度、本学院は、創立110周年を迎えました。校舎には110周年の記念ロゴが飾られ、アリアドネの糸と戯れる白い猫が皆さんを迎えてきました。この110周年を記念して、この1年間千代田校舎、多摩校舎それぞれにおいて、40を超えるさまざまな事業が、あるものは全学事業として、また、あるものはセンターや付属機関の事業として、また、あるものは学部事業として行われてきました。
コタカの生きた時代展の開催をはじめ、7月、9月、12月と連続して開催されたこれからの女性の学び方や働き方を考えるシンポジウム、外部講師を招いての千代田・多摩での11回にわたる人文学連続講演会、イギリスから著名オルガニストを招いてのパイプオルガン・コンサート、金井宇宙飛行士を招いての講演、作家の温又柔さん、作家・映画監督の川村元気さんを招いての講演、DeNA 中畑野球監督・瀬古陸上監督を招いてのトーク・イベ ント、オリンピック・トーチの展示と各国大使館による連続トークなどを実施しました。
また、今年の秋からは、本学院の先生方の執筆による大妻ブックレットの刊行も始まります。これらの多くの事業、なかでも、各学部が実施した記念事業は、それぞれの学部の専門教育と結びついたものが多く、ここに列席されている卒業生の皆さんにとっても、意義あるものになったのではないでしょうか。
110年前の1908年は、本学院の創立者大妻コタカが、裁縫・手芸の私塾を開いた年です。
日露戦争が終わって数年の時です。日露戦争は、司馬遼太郎が『坂の上の雲』で描いているように、日本の実力から言ってやや無理な戦争でした。このため、コタカが私塾を開いたこの時期は日露戦後不況と呼ばれる不況のさなかにありました。にもかかわらず、あるいは、そうであるからこそ、コタカは、女性が職業を身に付け、家族や社会を支える一員となることの大事さを強く認識したといえるでしょう。
すなわち、コタカは、それまでの「エリート」でもなく、「中流以上の女子」でもなく社会の中で何ら特別でない、ごくごく普通の女性が「社会的に自立するとはどういうことか」を考え続けて、大妻技芸学校の設立を決意したのです。戦前の日本は現在よりもはるかに、階級的格差の強い社会、男女差別の強い社会でした。女性には選挙権がなく、家制度も男子長子相続制でした。女性が社会の中で自分自身を確立することははるかに困難だったのです。そうした状況の中、コタカは「女性の自立」のための独自の戦い方を、女性が社会に受け入れられやすい手芸・裁縫といった「技芸を身に付ける」ことから始めようとしたのです。本学院は、創立以来「女性の自立のための女子一貫教育」を建学の精神としていますが、その「自立」の根源には、こうした若き日の大妻コタカの独自の考え方と強い意思があったということができるでしょう。
こうした観点から、7 月には、髙橋裕子津田塾大学学長をお招きして、「女子大学の可能性と未来への展望を拓く」というシンポジウム、9月には、Will Hutton Hertford College, Oxford学長、蟻川芳子日本女子大学前理事長・学長、Alison Beale Oxford 大学日本事務所代表とともに「世界の中の日本―これからの女子教育」というシンポジウム、12月には、南砂読売新聞常務取締役、村木厚子元厚生労働事務次官、屋敷和子 JAL スカイ社長とともに「コタカの理念を実践する女たち―『男女雇用機会均等法』以前から社会で貢献した『良き職業人』、家族三世代を継ぐ『良き家庭人』」というシンポジウムを連続的に開催して、これからの女子大の あり方、女性の生き方を改めて考えました。
これらのシンポジウムで確認したことは、この20年間に、女性をめぐる社会環境が緩やかにではあれ大きく変化したことです。「ガラスの天井」がまったく無くなったかといえばそうではありませんし、古い男女観もまだまだ残っています。しかし、日本の女性就業構造の特徴とされた M 型雇用は、今、急速に解消しています。学校を出てから定年まで働き続ける女性が増えています。ただし、この裏面には、非正規雇用が2000万人を超え、その多くが女性であるという状況があります。シンポジウムで確認した基本線は、学び続け、働き続けることのできる主体としての女性を育てることが喫緊の課題となっているということでした。広く世に知られる本学院の校訓「恥を知れ」も、自己規律の言葉、自分自身を鍛えていく言葉であると同時に、さまざまな人間関係のなかで自らの位置を確定し、ひとに共感する能力を培う言葉として位置付けていくということを再確認しました。
ワークライフ・バランス、あるいはワークライフ・インテグレーションを正面から考え、実践していくことが求められています。「自らの意思によって働き又は働こうとする女性が、その思いを叶えることができる社会、ひいては、男女がともに、多様な生き方、働き方を実現でき、ゆとりがある豊かで活力あふれる社会の実現を図ること」、女性たちが、「精神的自立」を前提とした「人間的自立」を確保していくこと、そのための具体的・実践的な教育が求められていることを、シンポジウムでの討論からひしひしと感じました。
「女性の自立」は、まずは、性差による差別を克服するような自立といえるでしょうが、目指してほしいのはその先です。「女性の自立」が「人間としての自立」であること、自己の尊厳を守る形での自立であること、すなわち「経済的自立」は、あくまで「精神的自立」を前提としたものであること、こうした自立を皆さんに追求していってほしいのです。
そして、願わくは、そうした自立が、他の人々への強い共感に支えられたものであってほしいと思います。他人の喜びを自分の喜びとし、他人の悲しみを自分の悲しみとし、他人の怒りを自分の怒りとできるよう、望みます。そして、これこそが、コタカの精神、コタカの望んだ生き方であったと思います。
これから、皆さんが社会に旅立つと、うれしいこと、楽しいこととともに、悲しいことやつらいことが、きっとおきてきます。そうしたときは、いつでも大学を訪ねてください。
皆さんの母校は、皆さんの悩みや願いを、いつでも聞き入れ、少しでも力になれるよう努力します。
皆さんが、今後、多様な場で活躍されることを心から期待して、卒業のお祝いの言葉としたいと思います。
ご卒業おめでとうございます。

2019年3月26日
学長 伊藤正直

入学式式辞

新入生の皆さん入学おめでとうございます。大妻女子大学の教職員を代表して、心よりお祝い申し上げます。ご列席の御父母、ご家族の皆様にも、お嬢様のご入学、心よりお慶び申し上げます。本日入学された皆さんは、先ほど宣言したように2205名です。
大妻女子大学は、今から100年以上前の1908年、明治41年、大妻コタカによって、裁縫・手芸の私塾として呱々(ここ)の声をあげました。それから110年、現在では、本学は、家政学部、文学部、社会情報学部、人間関係学部、比較文化学部の 5 学部、短期大学部、大学院人間文化研究科を抱える総合大学となっています。
コタカが私塾を始めた 110 年前とは、一体どのような時代だったのでしょうか。当時の日本は、日清戦争、日露戦争を経て、資本主義国として確立していくさなかにありました。
日露戦争は、日本の実力から言ってやや無理な戦争でもあったため、日本は日露戦後不況と呼ばれる不況に苦しんでいました。にもかかわらず、あるいは、そうであるからこそ、コタカは、女性が職業を身に着け、家族や社会を支える一員となることの大事さを強く認識したといえるでしょう。それまでの女子教育機関は、いわばエリートによるエリートのための教育機関でした。それに対し、コタカは、不況の中で苦しんでいる普通の家庭、何ら特別でない普通の女性が、社会の中できちんとした生活を営むにはどうしたらよいか、そして普通の女性が社会的に自立するとはどういうことか、そうしたことを考え続けて、大妻技芸学校の設立を決意したのです。
戦前の日本は現在よりもはるかに、階級的格差の強い社会、男女差別の強い社会でした。
女性には選挙権がなく、家制度も男子長子相続制でした。女性が社会の中で自分自身を確立することははるかに困難だったのです。そうした状況の中、コタカは「女性の自立」のための独自の戦い方を、女性が社会に受け入れられやすい「技芸を身に着ける」ことから始めようとしたのです。本学は、創立以来「女性の自立のための女子一貫教育」を建学の精神としていますが、その「自立」の根源には、こうした若き日の大妻コタカの独自の考え方と強い意思があったということができるでしょう。
では、「自立」とは、どのようなものでしょうか。手に職を身につけること、仕事に就くこと、言い換えると、自分で稼げる「経済的自立」こそが「自立」の本質と捉えられがちです。しかし、本学の創設者、大妻コタカは、「自ら学ぶ」こと、「社会に貢献できる力を身につける」こと、「その力を広く世の中で発揮していく」ことが、「女性の自立」につながると考えていました。コタカは、私塾をはじめてから10年後、この私塾を大妻技芸学校としますが、その際に「恥を知れ」という校訓を制定しました。これは、現在、しばしば口にされる他人に対しての言葉ではなく、「自分を高め、自分の良心に恥ずる行いをするな」という自分への言葉でした。
まず、「自己を正しく認識する」こと、そのために「自ら学ぶ」こと、「精神的な自立」を実現することが大切だと、コタカは考えたのです。「精神的自立」が「経済的自立」や「社会的自立」の前提としてとらえられているのです。自分で考え、自分で決定できるようにすること、主体的に物事をとらえられるような豊かな人格を形成することが、「女性の自立」のための条件なのです。
もちろん、本学では、実技実学も重視しています。実技実学は、社会において専門職業人となっていくためには不可欠なものです。しかし、ここでも、単純に、技術や技能を教える、知識を付与するのではなく、広い意味での「実践知」を身につけることが重要だと考えていました。「実践知」、これはもともとのギリシャ語では、「深い思慮」という意味でした。現実の社会に直面した時に、それまでのやり方に拘泥するのではなく、あるいは、頭の中の思い込みだけで対応しようとするのでもなく、現実を的確に把握し、弾力的かつ創造的に物事に対処できる力が「実践知」です。
本学の教育理念は以上のようなものですが、私たちは、皆さんに、これからの大学生活を意義あるものにしてもらいたいと心より願っています。そして、意義ある大学生活を送っていくために、いくつかのことを皆さんに期待したいと思います。
ひとつは、これからの勉強を社会の動きと関連させながら進めていって欲しいということです。世界は、現在、大きな変動期に入っているようにみえます。ブレクジット、トランプ政権の誕生、移民排斥、頻発するテロなど、第二次世界大戦後、長く続いてきたグローバル化の流れが、今、大きく旋回しようとしています。その背景に存在するのは、国家間、国内諸階層間の格差の拡大です。
国連の統計によれば、最も豊かな国々に住む人々(最富裕5ヶ国)と最も貧しい国々に住む人々(下位5分の1ヶ国)の所得差は、1950年の35対1から、73年には44対1、92年には72対1、そして2016年には148対1となりました。1820 年の格差が約3対1、1870年が7対 1、1913年 11対1でしたから、この200年の間に、国家間の経済格差、経済的不平等は、50倍以上も拡大してきたのです。
国内格差も、先進諸国、新興工業国、開発途上国、あらゆるところで広がりました。先進国グループとされるOECD諸国をとってみると、ドイツとイタリアを例外として、ほとんどすべての国で、賃金の不平等が拡大しました。ラテンアメリカ諸国では、1970年代には所得分配の不平等がいったんは縮小したものの、82年の中南米危機以降、短期間で不平等が再び拡大し、現在まで格差は高い水準に固定されたままです。市場経済への移行を進めた東欧・CIS諸国でも90年代半ばまでの10年足らずで格差は一挙に倍増しました。国連ミレニアム宣言は、「私達は、極貧の悲惨で人間性を奪うような状況から、私達の仲間である男女そして子供達を救済することに努力を惜しまない…」と述べています。この宣言の緊急性は、21世紀の今日、ますます高まっているといわなくてはなりません。
わたしたちは、皆さんにこうした問題についても関心を持って欲しいと考えています。
皆さんは、大学での勉強は、こうした社会の動き、世界の動きと関係がないと思っておられるかもしれません。しかし、皆さんが高校で学んできたこと、そしてこれから学ぶことのすべては、社会とのかかわり抜きにはありえません。「何のために勉強するのか」と問われた時、直ちに答えをだせないかもしれません。ある程度答えがわかっているようでも、勉強している内容に興味と関心を持てないかもしれません。しかし、皆さんのこれまでの勉強、これからの勉強は、よりよき暮らし、よりよき生き方を考える時、必ず役に立ちます。そして、先に見たような過度の格差の拡大は、よりよき暮らし、よりよき生き方を遂行していく前提条件を壊します。ですから、自分たちの暮らしが社会のどことどうかかわっているのかを常に考えながら、自分たちの勉強を進めていって欲しいと思います。
ふたつめは、主体的にものごとを考えて欲しいということです。高校までと違って、大学での勉強は、ものごとを知る、という以前に、どのように物事を考えるかという、考え方を学ぶ場という特徴があります。正解がないことを勉強するのが、大学での勉強だということもできます。詩人の谷川俊太郎に「学ぶ」という詩があります。読み上げます。

あなたは学ぶ
空に学ぶ
空はすでに答えている
答えることで問いかけている
わたしは学ぶ
土に学ぶ
隠された種子の息吹
はだしで踏みしめるこの星の鼓動
あなたは学ぶ
木に学ぶ
人から学べぬものを
鳥たちけものたちとともに学ぶ
わたしは学ぶ
手で学ぶ
石をつかみ絹に触れ水に浸し火にかざし
愛する者の手を握りしめて
あなたは学ぶ
目で学ぶ
どんなに見開いていても見えぬものが
閉じることで見えてくること
わたしは学ぶ
あなたから学ぶ
わたしと違う秘められた傷の痛み
わたしと同じささやかな日々の楽しみ
わたしたちは学ぶ
本からも学ぶ
知識と情報に溺れぬ知恵
言葉を越えようとする言葉の力を
そうしてわたしたちは学ぶ
見知らぬ人の涙から学ぶ
悲しみをわかちあうことの難しさ
わたしたちは学ぶ
見知らぬ人の微笑みから学ぶ
喜びをわかちあうことの喜びを

みっつめは、この詩の最後の方の段落に関わることです。私たちは、皆さんが、大学生活のなかで、先輩、同輩、後輩とよい関係をつくって欲しい、と願っています。さきほど、「自立」とは何かということをお話ししました。精神的自立は、まず個の自立であり、個の確立です。しかし、このことは、自分さえよければいいということを意味するものでは全くありません。「他者との関係のなかで、自己を見つめ直し、相互の力を活かし合い、自己実現できる人間として自立すること」、これこそが本来の自立です。種々の人間関係のなかで、自分の位置をきちんと確立して欲しい、そして、ひとに共感する能力を培って欲しい。人の喜びを喜びとし、人の悲しみを悲しみとし、人の怒りを怒りとできる人になって欲しい。そのように私たちは考えています。
今年の冬季オリンピックで、多くの女性アスリートたちが活躍しました。私も、その活躍から多くの喜びを受け取りましたが、なかでも心打たれたのは、500M スピードスケートでの、小平奈緒選手のふるまいです。自分が滑り終わった後、後続の選手のために「静かにしましょう」と指を口に当てました。試合終了後に韓国の李相花(イ・サンファ)選手に寄り添い、ともに会場を回りながら、ハングルで「チャレッソ(よくやったね)」と語りかけました。この小平選手のように、気取らず、自然に、人に対する敬意と共感を発露できる人間になりたい、そして、皆さんにもなってほしい、と思います。
最後に、現在は、女性が輝く社会といわれています。しかし、人に輝かせてもらってはいけません。自分自身で輝けるようにすることが大事です。そのためには、努力がいります。ともに、そのための努力をしていきましょう。
改めて新入生の入学をお祝いし、皆さんのこれからの大学生活が、実り多いものとなることを祈念して、私の式辞といたします。みなさん、本日はまことにおめでとうございます。

2018年4月1日
学長 伊藤 正直

2017年度

卒業式式辞

本⽇、⼤妻⼥⼦⼤学を卒業される 1,982 名の皆さん、ご卒業まことにおめでとうございます。
⼤妻⼥⼦⼤学の教職員⼀同とともに、皆さんに⼼よりお祝いを申し上げます。また、⻑い間、お嬢様⽅の本学での勉学をお⽀えいただきましたご家族や関係者の皆様にも、お礼とお祝いを申し上げます。
私は昨年4⽉に学⻑に就任いたしました。皆さんは、私が学⻑として送り出す最初の卒業⽣となります。昨年4⽉の⼊学式において、私は、新⼊⽣の皆さんに、社会に関⼼を持って⼤学での勉強を進めてほしいこと、主体的にものごとを捉えるようにしてほしいこと、他の⼈々への共感能⼒を育成してほしいこと、この三つのことをお願いしました。
皆さんの4年間ないし2年間の学⽣⽣活はどうだったでしょうか。⼤妻⼥⼦⼤で過ごした⽇々のことを思い出してください。皆さんは、⼤学にどのような思いや期待、あるいは夢を抱いていたでしょうか。現在、その思いは叶えられたでしょうか。あるいは、全く違った思いや夢を持つようになったでしょうか。
昨年10⽉、私は、本学の創設者⼤妻コタカの⽣家を広島県世羅町に訪ねてきました。どんな少⼥時代を過ごしたのか、彼⼥がどのような思いで東京に出、⼤妻学院を創設するに⾄ったのかを知りたいと思ったのが、訪問の直接のきっかけでした。コタカの晩年の写真はとても穏やかな表情をしていますが、若いころの写真は、精悍で意思の強そうな表情をしています。もっとはっきり⾔えば、とても「きかん気」な顔です。
世羅町は、広島空港から⾞で⼀時間ほど北に向かったところにある⼭間の盆地です。⽣家は、そこからさらに奥に⼊ったところにあり、現在はダムの底に沈んでいます。この⽣家から、彼⼥が通った分校の⼩学校まででも3キロメートル以上あり、毎⽇、杣道、畑道をたどって通学したそうです。なんと⼤変な毎⽇を過ごしたのかと、その頑張りに感嘆しました。
そして、17歳で⺟校の⼩学校の代⽤教員となったのですが、勉学の志やみ難く、遠路、東京まで出て勉強を続け、何種類もの教員免許を取得、ついには本学院の前⾝となる⼤妻技芸伝習所を創⽴します。上京したのは1902年、明治35年、18歳の時で、⼤妻技芸伝習所となる私塾を開いたのが1908年、明治41年、24歳の時のことでした。
当時の⽇本は、⽇清戦争、⽇露戦争を経て、資本主義国としての姿を整えていく時期でした。
⽇露戦争は、司⾺遼太郎が『坂の上の雲』で描いているように、⽇本の実⼒から⾔ってやや無理な戦争でもあったため、コタカが私塾を開いた時期は⽇露戦後不況と呼ばれる不況のさなかにありました。にもかかわらず、あるいは、そうであるからこそ、コタカは、⼥性が職業を⾝に着け、家族や社会を⽀える⼀員となることの⼤事さを強く認識したといえるでしょう。
もちろん、それ以前に⼥⼦教育機関がなかったかといえばそうではありません。明治前期には、すでにいくつかの⼥⼦教育機関が設⽴されていました。しかし、その多くは、英⽶婦⼈による英語教育を通じ、キリスト教に基盤をおく欧⽶の新しい⼈間観や社会観を若い⼥性に教⽰するもの、あるいは、明治政府の派遣した帰国⼦⼥によるもので、いわば社会のエリート層によるエリート⼥性のための教育機関でした。
⽇本で⼥⼦中等教育が、明治政府によって公的に規定されたのは、1895年、明治28年のことで、1899年、明治32年の「⾼等⼥学校令」公布以降になって、⼥⼦中等教育機関は発展していきます。しかし、そこでも想定されていたのは中流以上の⼥⼦を対象とするものでした。1899年、時の樺⼭⽂部⼤⾂は、⾼等⼥学校は「賢⺟良妻タラシムルノ素養ヲ為スニ在リ、故⼆優美⾼尚ノ気⾵、温良貞淑ノ資性ヲ涵養スルト倶ニ中⼈以上ノ⽣活ニ必須ナル学術技芸ヲ知得セシメンコトヲ要ス」と説明しています。
このような社会状況のなか、コタカは、それまでの「エリート」でもなく、「中流以上の⼥⼦」でもなく、社会の中で何ら特別でない、ごくごく普通の⼥性が「社会的に⾃⽴するとはどういうことか」を考え続けて、⼤妻技芸学校の設⽴を決意したのです。戦前の⽇本は現在よりもはるかに、階級的格差の強い社会、男⼥差別の強い社会でした。⼥性には選挙権がなく、家制度も男⼦⻑⼦相続制でした。⼥性が社会の中で⾃分⾃⾝を確⽴することははるかに困難だったのです。そうした状況の中、コタカは「⼥性の⾃⽴」のための独⾃の戦い⽅を、⼥性が社会に受け⼊れられやすい⼿芸・裁縫といった「技芸を⾝に着ける」ことから始めようとしたのです。本学院は、創⽴以来「⼥性の⾃⽴のための⼥⼦⼀貫教育」を建学の精神としていますが、その「⾃⽴」の根源 には、こうした若き⽇の⼤妻コタカの独⾃の考え⽅と強い意思があったということができるでしょう。
「男勝り」とか「⼥だてら」とか「⼥々しい」とかいった⾔葉は、今でも⼀般的に使われます。
これまで「⼥性の⾃⽴」、「⼥性の権利の確⽴」、「⼥性の社会的地位の向上」を⽬指してきた多くの先⼈⼥性たちは、「⼥々しさ」を振り払い、「⼥だてら」に、「男勝り」に頑張ることで、その道を切り開いてきました。いいかえると、「男性原理」、その原理に基礎づけられた「社会原理」に乗ることで道を切り開いてきたのです。あるいは、その原理に乗ることなしには、道を切り開けなかったといってもいいでしょう。こうした先⼈⼥性たちの頑張りに対しては、⼼からの敬意をささげたいと思います。
しかし、そうした先⼈たちと同じ道を皆さん全員にたどってほしいとは、私たちは考えていません。「⼥性の⾃⽴」は、まずは、性差による差別を克服するような⾃⽴といえるでしょうが、⽬指してほしいのはその先です。「⼥性の⾃⽴」が「⼈間としての⾃⽴」であること、⾃⼰の尊厳を守る形での⾃⽴であること、すなわち「経済的⾃⽴」は、あくまで「精神的⾃⽴」を前提としたものであること、こうした⾃⽴を皆さんに追求していって欲しいのです。
⼥性をめぐる社会環境は、この20年間に緩やかにではあれ⼤きく変化しました。「ガラスの天井」がまったく無くなったかといえばそうではありませんし、古い男⼥観もまだまだ残っています。しかし、⽇本の⼥性就業構造の特徴とされたM型雇⽤は、今、急速に解消しています。学校を出てから定年まで働き続ける⼥性が増えています。ただし、この裏⾯には、⾮正規雇⽤が2000万⼈を超し、その多くが⼥性であるという状況があるのですが。
1999年6⽉には男⼥共同参画基本法が成⽴し、「職場、家庭、地域などのあらゆる場で、男⼥が対等の⽴場であらゆる分野の政策⽴案や決定に参画できる社会を実現する」という課題が掲げられました。2015年8⽉には⼥性活躍推進法が成⽴し、「⾃らの意思によって働き⼜は働こうとする⼥性が、その思いを叶えることができる社会、ひいては、男⼥がともに、多様な⽣き⽅、働き⽅を実現でき、ゆとりがある豊かで活⼒あふれる社会の実現を図る」ことが課題とされています。⼥性たちが、「精神的⾃⽴」を前提とした「⼈間的⾃⽴」を確保する道は、かつてと⽐べて⼤きく広がったといえるでしょう。
そして、願わくは、そうした⾃⽴が、他の⼈々への強い共感に⽀えられたものであって欲しいと思います。他⼈の喜びを⾃分の喜びとし、他⼈の悲しみを⾃分の悲しみとし、他⼈の怒りを⾃分の怒りとできるよう、望みます。そして、これこそが、コタカの精神、コタカの望んだ⽣き⽅であったと思います。
これから、皆さんが社会に旅⽴つと、うれしいこと、楽しいこととともに、悲しいことやつらいことが、きっとおきてきます。そうしたときは、いつでも⼤学を訪ねてください。皆さんの⺟校は、皆さんの悩みや願いを、いつでも聞き⼊れ、少しでも⼒になれるよう努⼒します。
皆さんが、今後、多様な場で活躍されることを⼼から期待して、卒業のお祝いの⾔葉としたいと思います。
ご卒業おめでとうございます。

2018年3⽉23⽇
学⻑ 伊藤正直

入学式式辞

新入生の皆さん入学おめでとうございます。大妻女子大学の教職員を代表して、心よりお祝い申し上げます。ご列席の御父母、ご家族の皆様にも、お嬢様のご入学、心よりお慶び申し上げます。本日入学された皆さんは、先ほど宣言したように2137名です。
大妻女子大学は、今から100年以上前の1908年、明治41年、大妻コタカによって、裁縫・手芸の私塾として呱々(ここ)の声をあげました。それから109年、現在では、本学は、家政学部、文学部、社会情報学部、人間関係学部、比較文化学部の5学部、短期大学部、大学院人間文化研究科を抱える総合大学となっています。
本学は、創立の時点から、「女性の自立のための女子一貫教育」を建学の理念としてきました。では、「自立」とは、どのようなものでしょうか。手に職を身につけること、仕事に就くこと、言い換えると、自分で稼げる「経済的自立」こそが「自立」の本質と捉えられがちです。
しかし、本学の創設者、大妻コタカは、「自ら学ぶ」こと、「社会に貢献できる力を身につける」こと、「その力を広く世の中で発揮していく」ことが、「女性の自立」につながると考えていました。コタカは、私塾をはじめてから10年後、この私塾を大妻技芸学校としますが、その際に「恥を知れ」という校訓を制定しました。これは、現在、しばしば口にされる他人に対しての言葉ではなく、「自分を高め、自分の良心に恥ずる行いをするな」という自分への言葉でした。
まず、「自己を正しく認識する」こと、そのために「自ら学ぶ」こと、「精神的な自立」を実現することが大切だと、コタカは考えたのです。「精神的自立」が「経済的自立」や「社会的自立」の前提としてとらえられているのです。自分で考え、自分で決定できるようにすること、主体的に物事をとらえられるような豊かな人格を形成することが、「女性の自立」のための条件なのです。
もちろん、本学では、実技実学も重視しています。実技実学は、社会において専門職業人となっていくためには不可欠なものです。しかし、ここでも、単純に、技術や技能を教える、知識を付与するのではなく、広い意味での「実践知」を身につけることが重要だと考えていました。「実践知」、これはもともとのギリシャ語では、「深い思慮」という意味でした。現実の社会に直面した時に、それまでのやり方に拘泥するのではなく、あるいは、頭の中の思い込みだけで対応しようとするのでもなく、現実を的確に把握し、弾力的かつ創造的に物事に対処できる力が「実践知」です。
本学の教育理念は以上のようなものですが、私たちは、皆さんに、これからの大学生活を意義あるものにしてもらいたいと心より願っています。そして、意義ある大学生活を送っていくために、いくつかのことを皆さんに期待したいと思います。
ひとつは、これからの勉強を社会の動きと関連させながら進めていって欲しいということです。世界は、現在、大きな変動期に入っているようにみえます。昨年はイギリスがEUから離脱するブレクジットがありました。また、アメリカでは、共和党のトランプ政権が誕生しました。
ブレクジットの背景には、この間EUが推し進めてきた難民の受け入れ、移民の受け入れに対する批判や反発があります。また、トランプ大統領も、アメリカン・ファーストを標語に、メキシコとの間に壁を作る、内外の自動車会社がメキシコに工場を建てることを許さないといった発言を繰り返しています。
第二次世界大戦後、長く続いてきたグローバル化の流れが、今、大きく旋回しようとしているようにみえます。第二次世界大戦後、この70年間、国境を超えたヒト、モノ、カネの相互浸透が進んできました。多くの人たちが仕事や留学のために海外に出るようになりました。電気機器産業や自動車産業では、世界中に電機製品や乗用車を輸出し、さらには、世界中に工場を建てるようになりました。お金も、今では世界中を駆け巡っています。そこでは、フリー、フェア、グローバルが、共通の標語となり、世界の多様性を認めていこう、それを広げていこうという流れが続いてきたのです。ブレクジットやトランプ政権の誕生は、こうした流れに堰を作っているかのようにみえます。
果たして流れは反転するのでしょうか。私は、長い目で見たら、グローバル化の流れは止まらないと考えていますが、皆さんはどうでしょうか。大学生になったら、皆さんにもこうした問題を考えて欲しいと、私たちは考えています。皆さんは、大学での勉強は、こうした社会の動き、世界の動きと関係がないと思っておられるかもしれません。しかし、皆さんが高校で学んできた日本史や世界史を思い起こしてみてください。遣隋使、遣唐使は中国との交流を目指したものでした。明治維新も幕末の開港がきっかけとなり、脱亜入欧、アジアを脱して欧州に学べ、がスローガンとなりました。
世界に目を広げれば、シルクロードを渡って、絹だけでなく、活字も火薬も羅針盤もヨーロッパにもたらされました。こうした歴史からも明らかなように、社会システムや経済制度の変化は、外部との接触や交流から生まれてきています。思想や文化の交流もそうですし、食べ物や被服でさえも、外部との交流のなかから、新しいものが生まれてきました。
皆さんも、何かオリジナリティのあることをしたいと考えているでしょう。他人と違った自分にしかできないことがあればいい、と考えているでしょう。そうしたオリジナリティ、独自性は、社会とのかかわりの中からしか生まれません。ですから、社会のどことどうかかわっているのかを、常に考えながら、自分たちの勉強を進めていって欲しいと思います。
ふたつめは、主体的にものごとを考えて欲しいということです。高校までと違って、大学での勉強は、ものごとを知る、という以前に、どのように物事を考えるかという、考え方を学ぶ場という特徴があります。正解がないことを勉強するのが、大学での勉強だということもできます。
論語に、「思うて学ばざれば則ち殆(あや)うし、学んで思わざれば則ち罔(くら)し」という言葉があります。あれこれ考えるだけで、きちんと知識を蓄えなければ正しい判断はできない、知識を蓄えてもどのように考えるかを知っていないと正しい結論を得ることはできない、という意味です。
学問は、どのような領域でも、そのそれぞれに、グラマー、ロジック、レトリックがあります。日本語のグラマー、ロジック、レトリック、英語のグラマー、ロジック、レトリックがあるように、家政学にも、文学にも、経済学にも、社会学にも、心理学にも、それぞれ固有のグラマー、ロジック、レトリックがあります。皆さん、卒業するまでに、ぜひ、このグラマー、ロジック、レトリックを身に着けてください。
みっつめは、大学生活のなかで、先輩、同輩、後輩とよい関係をつくって欲しい、ということです。さきほど、「自立」とは何かということをお話ししました。本学には「関係的自立」という標語があります。精神的自立は、まず個の自立であり、個の確立です。しかし、このことは、自分さえよければいいということを意味するものでは全くありません。「関係的自立」という標語は、「他者との関係のなかで、自己を見つめ直し、相互の力を活かし合い、自己実現できる人間として自立すること」、こうした意味合いをこめているのです。
種々の人間関係のなかで、自分の位置をきちんと確立して欲しい、そして、ひとに共感する能力を培って欲しい。人の喜びを喜びとし、人の悲しみを悲しみとし、人の怒りを怒りとできる人になって欲しい。そのように私たちは考えています。
最後に、現在は、女性が輝く社会といわれています。しかし、人に輝かせてもらってはいけません。自分自身で輝けるようにすることが大事です。そのためには、努力がいります。ともに、そのための努力をしていきましょう。
改めて新入生の入学をお祝いし、皆さんのこれからの大学生活が、実り多いものとなることを祈念して、私の式辞といたします。みなさん、本日はまことにおめでとうございました。

2017年4月8日
学長 伊藤 正直