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【学長通信】アジアを知る、日本を知る

学長通信

先月に続いて、シリーズものの出版物を、もうひとつ。取り上げたいのは、平凡社『東洋文庫』です。1963年10月刊行の『楼蘭 流砂に埋もれた王都』(東洋文庫1)以来、2020年10月刊行の『ケブラ・ナガスト 聖櫃の将来とエチオピアの栄光』(同904)まで、これまで900冊以上刊行されてきました。60年近く、連綿と刊行が続いているのです。常盤色とも抹茶色とも呼ばれる深緑の布クロスで角背、背表紙のタイトルは金箔押し、しかも箱入りで値段も高く、なんでこれが文庫と名付けられているのかと、『東洋文庫』を知った当時には思ったものでした。

平凡社の『東洋文庫解説目録』は、『東洋文庫』について、次のように自己規定しています。「人類文明の黎明はアジアにあった。アジアが内蔵する英知と普遍の真理を、平易な現代文に訳出する東洋古典の一大集成。地域的には日本、中国、インド、イスラム圏に及ぶ広大な東半球を、歴史的には古代から現代まで、著名な古典に限ることなく、埋もれようとしている価値ある書物をも意欲的に再発掘して、読書界に提供する」と。

東洋というと、従来は、思想・文化の分野では、インド、中国が、史学や社会経済学の分野では、東アジア、東南アジアが主たる対象でした。しかし、本文庫では、最新刊の『ケブラ・ナガスト』にも見られるように、西アジアや中央アジアのものを数多く収録しています。また、古典といわれる作品にとどまらず、笑話や怪異譚、世間話や歌垣、探検紀行やアジア訪問記まで、幅広い範囲が採られています。ここに『東洋文庫』の特色があるといえます。

僕が、『東洋文庫』で最初に手にしたのは、R.グレーヴス『アラビアのロレンス』(同5、1963)だったように記憶しています。デビッド・リーン監督の映画「アラビアのロレンス」を観たことがきっかけでした。映画は、第一次世界大戦下、トルコに圧迫されていたアラブ民族独立に尽力したとされる考古学者でイギリス陸軍少尉トマス・エドワード・ロレンスの波乱に満ちた半生を、壮大なスケールと美しい映像で描き、ピーター・オトゥール、アレック・ギネス、アンソニー・クイン、オマー・シャフリ等、名優たち(今の若い人たちは誰も知らないかな)の熱演に目が釘付けになる名作でした。この映画の印象がとても強かったので、しばらくたってから、この本があることを知り、入手したのが、『東洋文庫』との出会いでした。

その後、ロレンス自身の回想録である『知恵の七柱』3冊(同152、181、200)、『ナスレッディン・ホジャ物語 トルコの知恵ばなし』(同38)、『ペルシア放浪記 托鉢僧に身をやつして』(同42)、『ペルシア逸話集 カーブースの書・四つの講話』(同134)、『王書 ペルシア英雄叙事詩』(同150)、『カリーラとディムナ アラビアの寓話』(同331)など、アラビア圏、イスラム圏を対象とした『東洋文庫』を、しばらく読みふけることになりました。中央アジア、西アジアをめぐる本が、他にはあまりなかったからです。

自分の研究がらみでも、『東洋文庫』には何冊かお世話になりました。西原亀三『夢の七十余年 西原亀三自伝』(同40)、宮崎滔天『三十三年の夢』(同100)、吉野作造『中国・朝鮮論』(同161)、呉知泳『東学史 朝鮮民衆運動の記録』(同174)、朴殷植『朝鮮独立運動の血史』(同214、216)、『バタヴィア城日誌』(170、205、271)などがそうで、特に、西原亀三『夢の七十余年』は、第一次大戦下に、中国軍閥の段祺瑞との間で締結された1億4500万円の経済借款、通称「西原借款」の裏面史を明らかにするもので、助手修了論文を執筆する際の助けとなりました。

『東洋文庫』の森に踏み込むと、その森の深さに驚かされます。お隣の朝鮮や中国、東南アジアの諸地域について、全く知らなかった世界が見えてくるだけでなく、自分の国日本についても、正史では触れられてこなかった世界が、次々に現れてきます。これまで読んできた本でみると、江戸期についてだけでも、30歳から晩年まで旅に人生を費やした旅行記『菅江真澄遊覧記』(同54、68、82、99、119)、徳川幕藩体制下の地理、風俗、巷談、異聞を集積した『武江年表』(同116、118)、有名無名の人物評伝からなる『近世畸人伝・続近世畸人伝』(同202)、江戸中期の奉行職を務めた根岸鎮衛が世態・風俗・民間伝承を集めた『耳袋』(同207、208)、肥前平戸藩主松浦静山による随想集『甲子夜話』(同306以下全20冊)、棋院林家11世林元美による江戸期の碁打ちの物語『爛柯堂棋話 昔の碁打ちの物語』(同332、334)など、取り上げられているテーマは多彩を極めています。

幕末維新期の外国人による日本滞在記、日本旅行記も、かなりの数が収録されています。安政の頃、海軍伝習所教官として来日したオランダ士官カッテンディーケによる『長崎海軍伝習所の日々 日本滞在記抄』(同26)、幕末に来日、横浜で英字新聞を始めたブラックの『ヤング・ジャパン 横浜と江戸』(同156、166、176)、大森貝塚の発見者で日本動物学の創始者モースによる『日本その日その日』(同171、172、179)、イギリス人女性イザベラ・バードの日本奥地旅行記『日本奥地紀行』(同240、819、823、828、833、840)他、ディキンズ『パークス伝 日本駐在の日々』(同429)、グリフィス『明治日本体験記』(同430)、アーネスト・サトウ『日本旅行日記』(544、550)、同『アーネスト・サトウ 神道論』(同756)、同『明治日本旅行案内 東京近郊編』(同776)、『シーボルトの日本報告』(同784)、『クレットマン日記 若きフランス士官の見た明治初年の日本』(同898)など、こちらも大変多様です。

いずれも読みごたえのあるものですが、なかでもイザベラ・バード『日本奥地紀行』(原著は、Isabella L. Bird, Unbeaten Tracks in Japan, 1885)は、『東洋文庫』のなかで最もよく読まれてきた1冊といっていいでしょう。イザベラ・バードは、牧師の娘で、病弱だったのですが、医師の転地療養の勧めで旅行を始めることになります。最初は、アメリカ、カナダ、次いでオーストラリアに旅するのですが、1878(明治11)年、47歳の時、アメリカから上海経由で横浜に到着、そこで東北、北海道旅行を企図します。この旅行記が『日本奥地紀行』で、エディンバラに住む妹に宛てた手紙を基にしています。これがめっぽう面白い。

当時の日本は、外国人はまだ国内を自由に旅行することはできず、ましてや女性の奥地一人旅は大変危険なものでした。ですので、横浜で日本人の案内者兼通訳(バードの言葉では「召使兼通訳」とあります)を雇います。「私はこの男が信用できず、嫌いになった。しかし、彼は私の英語を理解し、私には彼の英語が分かった。私は、旅行を早く始めたいと思っていたので、月給12ドルで彼を雇うことにした」。18歳の日本人伊藤鶴吉との最初の出会いでした。そして、2人の3カ月にわたる奥地紀行が始まります。二人の関係は、改善したり悪化したりします。日光、会津、新潟、山形、秋田、青森と、旅行のなかで見聞する明治日本の一般の人々の生活が生き生きと描かれるだけでなく、函館、室蘭、白老、平取と「エゾ」の旅を続けるなかで、アイヌ民俗についても詳しく叙述しています。

中島京子『イトウの恋』(講談社、2005)は、雇われたイトウの側から、この奥地旅行を描いた小説です。佐々大河『不思議の国のバード』(ハルタコミックス、2015~、現在8巻まで刊行、連載中)は、明治日本の家族、生活、風習を、バードの側から描いた漫画です。こちらは、英語版も出版されたようです。原本と合わせ読むと一層興味深い。

じつは、この『東洋文庫』のシリーズも、ほぼ全冊が、本学の図書館に入っています。ぜひ手に取ってほしいと思います。

学長  伊藤 正直