【学長通信】生活文化・生活意識の変容
ネットやテレビで、1950年代、60年代に制作された映画やドラマを観ていると、現在では完全に消滅した生活道具がごくありふれたものとして登場していて、当時を鮮明に思い出すことがあります。ちゃぶ台、蚊帳(かや)、縁側厠(かわや)の吊り手水(ちょうず)などなど。「考えてみると、日本人の生活は、大ざっぱに言って明治以降、昭和30年頃まで基本的な変化はあまりなかったように思う。例えば蚊帳(かや)。それは戦後しばらくたった頃まで、なくてはならぬ夏の生活必需品で、幼児は、ホロ蚊帳(かや)の中で昼寝をした。しかし、昭和30年代から蚊帳(かや)は、急速に姿を消し、今では眼にすることもできない。殺虫用の噴霧器が出廻ったこともあるが、網戸の普及によるものだ、と言っていいだろう。また、これと時を同じくして便所にも変化があった。古くからみられた汲取り式のものが水洗式に変わっている」(吉村昭『東京の下町』文春文庫新版、2017年)。東京日暮里生まれの著者による幼少期の生活誌、生活回顧です。
1950年代の生活文化の変化のなかで、私たちの生活意識に大きな影響を与えたものは、なんといっても家庭電化でしょう。1955年、家庭の風景のなかで目につく家電製品は、ラジオ(普及率85%)とアイロン(60%)ぐらいしかありませんでした。1960年になると、家庭のなかの家電製品は、テレビ(47%)、電気洗濯機(36%)、トースター(28%)、電気炊飯器(25%)、電気ゴタツ(24%)、電気冷蔵庫(13%)へと、一挙にその品数を増大させます。そして、1970年には、高度成長前期に「三種の神器」といわれたテレビ(90%)、電気洗濯機(92%)、電気冷蔵庫(92%)がほとんどの家庭にいきわたり、新たに3C(カー・カラーテレビ・クーラー)が大衆消費の対象として登場してきます。
「テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機、トースター、炊飯器などが次々と台所や居間にそろっていきました。私たち兄妹は、それらをひとつひとつ大喜びで迎え、テレビが初めて家に入った夜は、興奮してねむれなかったほどです。冷蔵庫が入った時も、いつまでも開けたり閉めたりして、母から叱られたり、炊飯器はスイッチをいれてから炊きあがるまでじっと見つづけていたりしました。トースターでパンを焼き、バターをつけて食べるくらしがどんなに“高級”に思えたことか。今思っても笑い出してしまいます」(高度成長を考える会編『家族の生活の物語』日本エディタースクール出版部、1985年)。
この言葉は、当時の実感を生き生きと伝えています。「生活文化とは、家庭電化のことである」という観念は、この時期ほとんどの人々に共有のものでした。この時期はまた、核家族という家族のありかたが一般化した時期でもありました。このことも、家電製品をはじめとする消費の増大を促進しました。都市へ転入してきた新規学卒者達が結婚年齢に達したとき、従来のような三世代同居の生活を営むことは、望むと否とにかかわらず不可能でした。親子の生活圏が遠くにへだたっているというだけではなく、都市の宅地価格が、消費者物価上昇率をはるかにこえて、うなぎのぼりに上昇し続けたからです。この核家族化に対応して、2DKの鉄筋コンクリート中層アパート、すなわち「団地」が、日本住宅公団(現在のUR)や地方自治体によって新たに供給されるようになりました。ステンレスの流し台、水洗トイレ、内風呂、ダイニング・キッチン、テレビのある居間。「団地住民」は、新しいライフ・スタイルの先導的担い手となりました。
ただ、この時期には、こうした生活ができる人は限定されていました。急激に膨張する都市生活者の住宅需要に「団地」供給はおいつかず、多くの人々は、間借りか民間木賃アパート住まいを余儀なくされました。とはいえ、そこでも、「団地」的ライフ・スタイルは当面の目標とされ、テレビ・洗濯機・冷蔵庫が、六畳一間、風呂はなくトイレは共用、という生活のなかに急速に普及していきます。こうして「望ましい消費生活」がさしあたりは実現され、核家族という新しい家族構成のもとで、男は仕事に邁進し、女は家事と消費と子供の保育を主要な役割とするという構図が定着したのでした。
この構図は、21世紀に入るなかで、さらに大きく転換を遂げます。その背景として、グローバル化、デジタル化、少子高齢化などが指摘されていますが、生活意識という点からみて大きいのは、デジタル化でしょう。現在では、デジタルは日常生活においても欠かせない存在となっています。デジタル活用にはネット接続が必要です。総務省の調査では、情報通信機器の世帯保有率については、携帯電話やスマートフォン(以下スマホ)などのモバイル端末が9割を超えています。なかでも、スマホの普及が進んでおり8割以上の世帯で保有されています。情報通信機器のなかで最もインターネットの利用率が高い機器は、パソコンやタブレットではなくスマホです。また、年齢が低い方が利用率は高いという傾向はあるものの、60歳以上であっても8割以上がスマホを利用しています(総務省『情報通信白書』令和3年版)。
今や、スマホは世界中で利用されるようになっていますが、その利用の仕方は、国によってかなり異なっています。例えば、スマホ大国である中国では、特に「ソーシャルゲーム・オンラインゲーム」、「健康管理・運動記録」や「QRコード決済」の利用が多いと指摘されています。これに対して、日本では、「インターネットショッピング」、「支払い・決済」、「地図・ナビゲーション」といったサービスの利用が多くなっています(総務省、同上)。
このように、デジタル化は、人々に新たなコミュニケーションの場や機会をもたらし、さまざまな情報の収集を容易にすることで、人々の知識を豊かにすると同時に、自らが情報を発信することで自己実現を行うことも可能としました。スマホの普及はコミュニケーションツールの枠を超え、多様なサービスを受けることが可能な生活を実現しました。
しかし反面、ネット上に多種多様なネットメディアが誕生するなかで、「ネット炎上」「サイバーカスケード」「フェイクニュース」などといった問題も頻発するようになっています。特定の対象への誹謗中傷(ネット炎上)、同じ思考や主義の暴走(サイバーカスケード)、SNSを通じた人為的虚偽ニュースの拡散などが多発するようになっているのです。2016 年には、英オックスフォード大学出版局が「今年の言葉」として「ポスト・トゥルース」を選出しました。「客観的事実よりも感情的な訴えかけのほうが世論形成に大きく影響する状況」を示す表現とのことです。スマホが、全社会的に普及している現在、これらの問題解決のための取組みは急務と言わなくてはなりません。
学長 伊藤 正直