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【学長通信】将棋の話、囲碁の話

学長通信

今年8月から10月にかけて行われた将棋の王座戦で、藤井聡太竜王・名人が王座を奪取し、将棋公式棋戦の全タイトルを独占し「八冠」となりました。「八冠」独占は社会現象になり、将棋を指さない「観る将」、「読む将」、「にわかファン」を大量に生み出し、久しぶりの将棋ブームを引き起こしています。

囲碁の方も、1999年に少年ジャンプに『ヒカルの碁』が連載され、そのアニメがテレビ放映されてブームとなりました。その後、囲碁界初の2度の「七冠」を達成した井山裕太が、「永世七冠」となった将棋の羽生善治とともに2018年に国民栄誉賞を同時受賞し、話題となりました。

将棋も囲碁も古くから楽しまれていますが、その起源はいずれも外国です。将棋の起源は、古代インドのチャトランガというゲームにあるという説が有力で、これがヨーロッパに伝播してチェスとなり、アジアに伝播して、シャンチー(中国)、チャンギ(朝鮮)、将棋(日本)となったといわれています。日本で最古の将棋史料は11世紀半ばの藤原明衡『新猿楽記』とのことですが、その後13世紀初めの習俗事典『二中歴』に大小2種類の将棋が説明されています。ただし、この頃の将棋には、現在はない多くの駒があり、現在の駒の形になったのは15、16世紀の頃、同じ時期に、相手から取った駒を自分側の駒として再使用できる持ち駒ルールが始まりました。日本独自のこのルールの発明により、将棋は著しく複雑で奥の深いゲームとなりました(日本将棋連盟HPによる)。

囲碁の起源は、4000年くらい前の中国といわれています。日本にいつ伝来したのかははっきりしませんが、正倉院には碁盤や碁石が保存されており、『古事記』には碁についての記載がありますし、『源氏物語』や『枕草子』にも囲碁が登場します。平安時代に、宮廷、貴族に広まった囲碁は、鎌倉・室町時代には、武士や僧侶などに広まり、日蓮と弟子の吉祥丸の打った碁の記録(=棋譜)が残されており、現存する最古の棋譜といわれています。

『徒然草』にも「拙き人の、碁打つ事ばかりにさとく、巧みなるは、賢き人の、この芸におろかなるを見て、己れが智に及ばずと定めて万の道の匠、我が道を人の知らざるを見て、己れすぐれたりと思はん事、大きなる誤りなるべし」とあり、当時の囲碁の広がりを知ることができます(日本棋院HPによる)。

信長、秀吉、家康ほか戦国武将が囲碁を嗜んだこと、本能寺で碁会が催された際「三劫」が生じ、本能寺の変の前兆だったといわれたことなども記録に残されています(林元美『爛柯堂棋話』平凡社東洋文庫332、1978年)。

江戸時代に入ると、将棋と囲碁の位置づけが変わります。時の幕府によって、将棋・囲碁が制度化されるのです。1612(慶長17)年、幕府は将棋の大橋宗桂、囲碁の加納算砂(本因坊算砂)らに俸禄を支給することを決め、その10年後の1626年には、御城将棋、御城碁が始まります。彼らは、その後、世襲、家元として将棋所・碁所を構えるようになり、将棋では、大橋本家・大橋分家・伊藤家の三家が、囲碁では、本因坊、井上、安井、林の四家が将棋所・碁所の地位を争うことになります。

こうして将棋界、囲碁界は世襲制、家元制の下で安定した時代を迎え、1800年代に入ると黄金期を迎えますが、1868年(慶応4年)に江戸幕府が滅亡すると、将棋三家、囲碁四家は経済的な基盤を失い、終焉を迎えます。それぞれ家元は拝領屋敷を返上し、1869(明治2)年には家禄も奉還することになりました。将棋界、囲碁界はかつてない苦難の時代を迎えることになりました。

この苦難の時代を救ったのが、当時、新たに発行されるようになった新聞でした。将棋では、1881(明治14)年に、「有喜世新聞」が詰将棋を掲載し、1898年には「萬朝報」が指し将棋を掲載し、以後各新聞社が棋戦を掲載するようになります。これに対応して、棋士の団体も結成され、1909年には初の棋士団体「将棊同盟會」が発足し、翌1910年には、「関西将棊研究会」、「将棊同志會」などが誕生します。その後曲折を経て、1927(昭和2)年に「日本将棋連盟」が発足し、現在につながることになります。

囲碁の方も、同様に、1878年に「郵便報知」に碁譜が掲載され、将棋よりも早く、各新聞社が囲碁欄を設けることになり、政財界の援助も始まります。これに対応して、方円社、囲碁奨励会、六華会、裨聖会などの棋士組織が出来ますが、1924(大正13)年に「日本棋院」が発足し、現在の起点となります。

第二次大戦後は、将棋、囲碁とも、新聞棋戦を柱に大きく発展を遂げ、将棋人口、囲碁人口も急増します。スター棋士も次々に現れます。将棋の升田幸三、大山康晴、中原誠、谷川浩司、羽生善治、囲碁の木谷実、呉清源、橋本宇太郎、高川格、坂田栄男、林海峰、大竹英雄、石田芳夫、趙治勲、小林光一などが新聞や雑誌、テレビをにぎわせました。囲碁界では、1950年、東西棋士間の待遇の違いを巡って「関西棋院」が分立しましたが、現在は、日本棋院と関西棋院は協調関係にあります。

ただし、戦後急増した将棋人口、囲碁人口は、レジャーの多様化とともに減少に転じています。将棋人口は1982年の2280万人から1998年には1000万人を割り込み、2022年時点では460万人と推計されています。同じく囲碁人口は1982年の1130万人から、1995年には500万人を割り込み、『ヒカルの碁』のブームでいったんは盛り返したものの、2022年時点では130万人と推計されています(日本生産性本部『レジャー白書2023』)。

将棋、囲碁を取り巻く環境は、21世紀に入って激変しました。その変化の最大は、AIの登場です。将棋も囲碁も現役棋士の多くはAIを参照しています。AIが、トップ棋士を負かすようになったためです。1997年にIBM製のチェスAIソフトであるDeep Blue(ディープ・ブルー)が現役のチェス世界チャンピオンのガルリ・カスパロフを破りました。2007年には、将棋AIソフトのBonanza(ボナンザ)が渡辺明名人と接戦を演じました。ボナンザが採用した「全幅探索」と「評価関数の機械学習」という手法は、その後の将棋AIソフトに次々に採用され、プロ棋士の棋力を凌駕しました。最も困難とされていた囲碁でも、2016年に、Googleが開発した囲碁AIソフトAlphaGo(アルファ碁)が、世界チャンピオンである韓国のイ・セドルを4勝1敗で破り、世界的なニュースになりました。現役棋士がAIとどのように向き合っているかの一端は、王銘琬『棋士とAI』(岩波新書1701、2018年)で知ることができます。一読を薦めます。

学長  伊藤 正直