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【学長通信】関東大震災の経済的教訓

今年の夏は地球規模での異常気象となり、世界のあちこちで、大規模災害が発生しました。大雨による洪水、大規模な山火事、高温による熱中症、地震による家屋・橋・道路の崩壊などが、わが国だけでなく、アジア、アメリカ、ヨーロッパ各地から報告されました。こうした災害による甚大な人的・物的被害からの回復は長時間を要します。また、かなりの費用もかかります。

 

じつは、数年前、首都直下型地震の防災会議で、1923年9月の関東大震災の際の、金融システムへの影響や財政・金融面での対応について、報告する機会がありました。現在、今後30年の間に、南関東でM7程度の地震が発生する確率は70%とされており、被害額も100兆円以上に達すると推計されています。防災会議は、今後の防災対策によって、死者を半減させ、被害額を4割減らしたいとしています。報告を依頼されたのは、こうした事態への歴史的教訓を得たいという点にあったようです。

 

すでに多くの事柄が語られていますが、ごく簡単に関東大震災の概観をみておきましょう。関東大震災の災害区域は、東京、神奈川、千葉、静岡、山梨、埼玉、茨城の1府6県で、罹災者は約340万人、東京では大火が3日間続き、下町のほとんどが全焼しました。全焼戸数は38万戸、半壊・破損も含めると69万戸に達しました。この震災による損害は46億円弱と推算されています。大正11年度の一般会計歳出が約14億円でしたから、これを基準として現在に引き直すと、300兆円以上の損害を受けたことになります。

 

震災は、金融システムに対してどのような影響を与えたでしょうか。まず、銀行の焼失です。当時、東京府内には542の銀行本支店店舗がありましたが、そのうち343本支店が焼失しました。銀行窓口がなくなってしまったのです。ただ、銀行側から見ると、担保物件の焼失破損、貸出先被害による貸出金の回収不能、有価証券値下がりによる損害などがより大きな問題でした。放置すれば、銀行がつぶれてしまうからです。

このため、震災当日の9月1日から7日まで、1週間日銀を除いて全銀行が休業します。そして、この休業の間に、「債務者が指定地域に住所又は営業所を所有している場合に、30日間の支払延期を認める」という内容の支払延期令(1923年9月7日勅令第404号)がだされ、これにより、東京では17~18日頃、横浜では25~27日頃、銀行は営業を再開します。また、これと合わせ、政府は、日本銀行震災手形損失補填令(1923年9月27日勅令第424号)をだします。これは、震災関係者の発行した手形を震災手形と規定し、この震災手形の再割引に日銀が応じ、その結果として日銀に生じるであろう損失を、1億円を上限として、政府が補填するというものでした。

さらに、財政面でも、応急復興事業として9億円、地方自治体への緊急貸付4億円、租税の減免2億円弱の特別歳出を帝国議会で決定したほか、この資金源として、数多くの外債、具体的には、6%の英貨公債2,500万ポンド、6.5%の米貨公債1億5,000万ドル計5億4,500万円、東京市外債1億円、横浜市外債4,000万円(いずれも政府元利払保証)を発行しました。震災復興は、外国からの借金で賄われたのです。

 

関東大震災は、このように巨額の復旧費用を要したのですが、実際には震災と関係のない手形が震災手形として認められたり、震災手形の再割引期限が何回か延長されたりしました。このため、震災への金融的・財政的対策が、結果として1927年の金融恐慌の原因のひとつとなってしまいました。必要な対策は、迅速にきちんとなされなくてはならないことはもちろんですが、その際、将来起こりうることへの想像力をもち、時間軸を考慮した対策が不可欠であることを示しているといえるのではないでしょうか。

 

学長  伊藤 正直