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【学長通信】鉄道旅の話

学長通信

コロナ禍がいっかな収束しないなかで、Go Toトラベルといわれても、「それでは」と、遠くの旅に出る気にはなかなかなれません。で、旅に出る代わりに、ネットで各地のブログやインスタグラムやユーチューブを見たり、旅の本を読んだりすることになります。旅の本といってもさまざまで、例えば、紀行文ですと、芭蕉『奥の細道』、金子光晴『マレー蘭印紀行』、沢木耕太郎『深夜特急』などがすぐに思いつきます。あるいは、もう少し冒険っぽい、カヌー旅の野田知佑『日本の川を旅する』とか、オートバイ旅の浮谷東次郎『がむしゃら1500キロ』、辺境徒歩旅の高野秀行『幻獣ムベンベを追え』などが好みの人もいるでしょう。


旅の手段もやはりさまざまで、船もあれば、飛行機もある。自動車やオートバイもあれば自転車もある。でも、やはり旅といえば、まず鉄道ではないでしょうか。しかし、鉄道旅に限っても、世に鉄ちゃん、鉄子は数多く、鉄道旅の本も山のようにあります。人は誰でも何らかの趣味を持っています。趣味にはまると、だんだんその度合いが高じてきます。最初はファンで、大部分の人はこの段階にとどまっています。次の段階がマニア、オタクと呼ばれることもあります。最後がマッドで、普通の常識では推し量れない行動や思考に突っ込んでいくことになります。そうしたマッドの鉄道旅の本、おすすめを3冊。


1冊目は、内田百閒『阿房列車』。現在はちくま文庫で読むことができます。ちくま文庫版は、昭和26年から28年にかけて『小説新潮』に連載されたものを収録しており、ここでは極め付きの汽車好き、百閒先生の汽車旅が飄々(ひょうひょう)と語られます。


始まりは東京・大阪間の特急「はと」で、「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪に行ってこようと思う。用事がないのに出かけるのだから、三等や二等には乗りたくない。汽車の中では一等が一番いい」。しかし、この旅費のあてがなく借金をすることになります。百閒先生の理屈は借金についても独特で、「そもそもお金の貸し借りと云うのは六(む)ずかしいもので‥‥一番いけないのは、必要なお金を借りようとする事である。‥‥そんなのに比べると、今度の旅費の借金は本筋である。こちらが思いつめていないから、先方も気がらくで、何となく貸してくれる気がするであろう。ただ一ついけないのは、借りた金は返さなければならぬと云う事である」。こうして無事借金ができ、国鉄職員ヒマラヤ山系君を道づれに大阪まで出かけ、何をするでもなく、そのまま東京まで帰ってきます。


東北本線の汽車旅でも、「盛岡へ行くには、上野駅を朝九時三十五分に出る二〇一列車がある。‥‥ところが朝の八時だの九時だのというのは私の時計にない時間であって」、「上野を出るのは朝が早過ぎるからその汽車に乗らないで、盛岡に著くのはその汽車の時間がいいからその汽車に乗っていたいと云うにはどうしたらいいかと考えた」。「矢張り夕方に著きたい。しかしその汽車に朝乗るのはいやだ。お午頃又は午後になってから乗りたい。わけはない事で、そう云う時刻にその汽車が出る所まで行っていればいい。そこで一晩泊って、そこから乗れば著く時間はこちらの思い通りになる」というのです。


この本の最後は、山陽本線「銀河」と鹿児島本線「きりしま」の旅で、一等車に乗ってくる人々の顔付きの品定めで終わります。最初から最後まで、役に立つこと、ためになることを一切しない汽車旅が続くのですが、皮肉とか諧謔を超越した百閒先生独特の思考回路が随所にあらわれ、とても愉快な気持ちになれます。


2冊目は、宮脇俊三『時刻表2万キロ』。こちらは河出文庫で読むことができます。文庫の裏表紙には、「時刻表を愛読すること四十数年、汽車の旅に魅せられた著者は、国鉄全線の九十パーセントを踏破した時点で、全線完乗を志した。しかしそれからが大変、残存線区はローカル線ばかりで、おまけに接続の悪い盲腸線が大部分である。寸暇を割いて東奔西走、志をたてて三年後、ついに二六六線区、二万余キロの全線完乗を達成した」とあります。


著者は、もともとは『中央公論』の編集長で、美術や音楽の出版も担当してきた人でした。趣味はモーツァルトと鉄道に乗ることだそうですが、裏表紙の解説にあるように、鉄道といっても時刻表マニア、いわゆるスジ屋で、楽しみは「時刻表」を走破することにありました。ですので、1975年に一念発起してからは本当に大変で、時刻表をためつすがめつして、急行列車を追い抜く鈍行列車に乗ったり、列車の遅延で乗り損なった区間を乗るためにタクシーをチャーターして延々列車を追いかけたり、到着先の町で宿が満室でどこも取れないため全面鏡張りのラブホテルにひとり眠ったり、種々の悲喜劇が著者を襲います。


ただ、記述には気負いやてらいがまったくなく、涙ぐましい完乗までの過程が淡々と語られていきます。自分がやっていることがある意味では「愚行」といわれても仕方のないことだということを十分承知したうえでの叙述がユーモアを含んで苦笑とともに語られており、無用の趣味こそがもっとも典雅であり高尚であると知らされます。本書は、新線に乗りたい、という著者の言葉で閉じられています。鉄道の路線廃止が表明されるコロナ禍の現在、この言葉を読むと切ない気持ちになります。


3冊目は、アメリカ人作家P.セルー『鉄道大バザール』です。現在は、講談社文芸文庫に入っているようです。紙幅がなくなってきたので内容は省略せざるを得ませんが、ロンドンを出発して、オリエント急行、テヘラン急行、ラージダーニ急行に乗ってインドに至り、その後、東南アジアの鉄道を乗り継ぎ、日本の鉄道「ひかり」や「はつかり」や「おおぞら」に乗ったのち、シベリア鉄道を経てロンドンまで戻るというユーラシア大陸汽車の旅を綴ったものです。この本は、どちらかというと正統的な紀行文に近く、鉄道旅を通して、異文化発見、西欧文化批判を行っていくというものです。これはこれで鉄道旅の面白さが満喫できます。以上、おすすめの3冊でした。


学長  伊藤 正直