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【学長通信】専門家と非専門家

学長通信

新型コロナウイルス感染症の拡大が収まらないなか、さまざまな言説が飛び交っています。とりわけ、2020年2月に内閣官房に設置された「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」(現在は、この専門家会議は廃止され、7月に新型インフルエンザ等対策有識者会議の下に開催される「新型コロナウイルス感染症対策分科会」に移行しました)の出す「助言」の適否をめぐって、さまざまな次元での発言や議論が、医学的見地、政策的見地、社会的見地から噴出しました。


例えば、3月下旬から4月初めの緊急事態宣言発令に向けての議論のなかで、専門家会議が、個人の活動自粛や企業活動の自粛を要請するということがありました。この要請がなされた直後から、本来の「科学的助言」の範囲を「踏み超え」てしまっているという批判がなされました。他方、危機的状況下においては、政治的判断を専門家が行うこともありうるし、すべきである、という反論もありました。さらに、専門家会議の判断根拠そのものが科学的に不十分である、あるいは間違っているという批判も、「専門家会議」外の専門家からなされたりもしました。


じつは、こうした議論は、以前から、科学技術社会論(STS)という形でなされてきましたが、東日本大震災による福島原発のメルトダウンを契機に一挙に活発化しました。電力会社や専門家は、原発のリスクと不確実性について、どの程度社会にきちんと説明してきたのか、説明がなされないままにメルトダウンになってしまったのではないか、メルトダウンの影響はどれくらい続くのか、といった問題が、一斉に議論されるようになったのです。こういった事態を受けて、日本学術会議も2013年に「科学者の行動規範」を改訂して「社会の中の科学」という項目を追加し、「科学者が社会に対する説明責任を果たし、科学と社会、そして政策立案・決定者との健全な関係の構築と維持に自覚的に参画すると同時に、その行動を自ら厳正に律するための倫理規範を確立する必要がある」と訴えました。


そこでは、「科学者は、社会と科学者コミュニティとのより良い相互理解のために、市民との対話と交流に積極的に参加する。また、社会の様々な課題の解決と福祉の実現のために、政策立案・決定者に対して政策形成に有効な科学的助言の提供に努める」(社会との対話)、「科学者は、公共の福祉に資することを目的として研究活動を行い、客観的で科学的な根拠に基づく公正な助言を行う」(科学的助言)、「科学者は、政策立案・決定者に対して科学的助言を行う際には、科学的知見が政策形成の過程において十分に尊重されるべきものであるが、政策決定の唯一の判断根拠ではないことを認識する」(政策立案・決定者に対する科学的助言)という3点が、述べられていました。


この学術会議の「行動規範」がどこまで正しいのか、という問題は、確かにあります。政策的判断、政治的判断まで科学者は行うべきでない、科学者ができるのは判断の材料を正確に提供することだ、というのが、「行動規範」の基本的立場ですが、それは、現前する危機がどの程度の危機なのか、ということと切り離しては議論できないからです。


感染症対策との関連では、この他にも、ドローンでマスクをしていない人を監視する、スマホで濃厚接触者を調査するなどの措置は、プライバシーを侵害し、国による個人監視につながるのではないか、という議論もあります。さらに、移動制限をかけたり、学校の一斉休校を要請したり、企業のテレワークを命令したりする主体はいったい誰なのか、国なのか地方自治体なのか、それとも一定の経済主体なのか、といったことも議論されています。こういった議論になると、専門家の範囲は、「専門家会議」メンバー、あるいは感染症専門医を超えて広がることになるでしょう。


ここまでくると、問題は「科学者」と「政策立案・決定者」との関係になってしまいます。そして、この問題が、現在の焦点であることも間違いないのですが、その大きな前提として、「科学者は、社会と科学者コミュニティとのより良い相互理解のために、市民との対話と交流に積極的に参加する」という、市民社会における科学ないし科学者の役割という問題が抜け落ちてはいけないと考えます。そうでないと、科学の専門家と政治の専門家だけが、判断主体、政策決定主体となり、一般人=非専門家は、ただその決定を受け入れる受け身の存在になってしまうからです。


ただ、ここには大変難しい問題が横たわっています。つまり、「非専門家が、ある特定の領域に対する(完全な)専門知識なしに、その科学の『内的過程』と『外的性格』をともに把握する方法はあるのか」という問題です。科学が高度に発展してくると、それぞれの科学は、それぞれのグラマー、ロジック、レトリックによって進められることになります。非専門家が持つリテラシー、日常生活の基礎にあるグラマー、ロジック、レトリックは、科学のそれぞれの専門領域と共通言語を持てなくなっているのです。にもかかわらず、非専門家は、その適否について判断しなくてはなりません。


なぜかといえば、現代の科学技術と私たちの生活との関係は、以前とは異なるものになっているからです。言い換えると、科学技術の発展は、私たちの生活にさまざまな負の影響をももたらしており、科学技術の発展が人類を幸せにするものだとは、もはやナイーブに信じることはできなくなっているのが現代です。私たちはただユーザーとして技術の使い方を習得していればよいというものではなく、そのような技術は果たして自分たちにとって本当によいものなのか、そのような技術を使うことが倫理的に正しい選択であるのかなどまで、私たち自身が判断をせまられるようになっています。科学者の社会的責任とはなんなのかという問題、市民と科学との健全な関係とはどんなものかという問題を、今回の新型コロナウイルス感染症の拡大は改めて提示しています。


学長  伊藤 正直