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【学長通信】漢字について

学長通信

子供の頃、習字の塾に通っていました。てん、よこ、たて、はね、おれ、はらい、そり、などをまず習い、次いで、永という字を何回も何回も書かされた記憶があります(永字八法というそうです)。そして、そのあと、ようやくいろいろな字を書くことが許されました。


当然、最初は楷書です。塾の先生が、王羲之の熱狂的ファンだったこともあって、王羲之の字体を写すことが、毎週最初にする手習いでした。4、5年経ったところで、「篆書(てんしょ)、隷書をやってみろ、これで展覧会に出してみよう」と言われ、篆書に取り掛かりました。写真が、篆書の字形です。30年ほど前、西安の碑林博物館を訪ねた際、篆書の拓本があったので懐かしくなって購入しました。縦2m以上横1m以上ある結構大きな石碑で、文化大革命のときも破壊されずに残ったものの碑文です。


篆書はこんなレタリングのような字形です。子供の頃は、こんな字があるのが不思議で、また、どのような書体で書くのかわからず、塾の先生に叱られながら、何枚も下書きをしたものでした。この碑文には、下に楷書で同字が示されています。


篆書の写真

篆書は、秦の始皇帝(前259~前210年)が度量衡の統一とあわせて、それまで地域によって様々であった字形を統一することによって成立したといわれています。また、隷書は、後漢王朝(25~220年)の時代に、公文書に使われる正式な書体とされたそうです。私たちが日常使っている楷書は、東晋王朝(317~420年)の王羲之がその原型を作ったと言われています(落合淳思)。


漢字の発生は、殷王朝(商)の後期、紀元前14世紀の頃だそうです。最近では、もっと前、紀元前20世紀ころに漢字の原型ができたという説も有力です。神話的な世界観が人々を支配していた時代、神話的秩序は王朝の支配秩序を反映するものでした。ですので、文字も呪的世界にあり、呪的儀礼を形象化したものが文字、すなわち漢字でした(白川静)。


ですから、漢字は、象形字や会意字からつくられる表意文字が基本です。漢字の表音文字は、この表意文字から帰納的に作られたものです。馬という字は、馬の頭とたてがみからできているとか、口という字は、神に祈り霊を祀るときののりとの器を示しているというのは象形字ですし、口という字を含む古や告という字は、のりとの器とそれにくわえられる器物をあわせて、その行為の意味をあらわすという会意字です。日本語のひらがな(これも漢字から、音素をとってつくられた文字です)やアルファベットなどの表音文字とは違います。


私たちが普段使っている漢字には、中国でつくられた漢字以外のものもあります。国字といわれるもので、日本で作られた漢字です。例えば、峠、辻、鴫(しぎ)、鱈(たら)、凪(なぎ)、躾(しつけ)、働などで、働などは中国に逆輸出され、日常語として使われています。国字も会意字であることは、とうげという字が、山を上って下るちょうど尾根に当たるところだとか、なぎという字が風が止まったところとか、しつけという字が、身体が美しいことであることとか、などから容易に理解できるでしょう。


こうして作られた漢字は一体いくつあるのでしょうか。『大漢和辞典』(大修館書店)は5万字、中国で刊行された『漢語大字典』(上海辞書出版社)は6万字といわれています。これだけの漢字を覚えるのが大変だということで、戦前の1923年、文部省臨時国語調査会が1962字を常用漢字として発表しました。その後、戦後に国語審議会が1850字を当用漢字とし、何回かの変遷を経て、現在は、2016年の文化庁文化審議会の「指針」が2136字の常用漢字表となっています。


現在、ほとんどの人は、パソコン、ワープロ、スマホで日本語を打っています。ペンや鉛筆で、字を書くことは大幅に減りました。ですから、日々の生活に不便のないよう日常使う字を決めようという「常用漢字」「当用漢字」の必要性はなくなったともいえます。しかし、カナ入力、ローマ字入力すれば簡単に漢字に変換できるため、手書きでは書けない漢字、普通は読めない漢字が、世の中に大量に出回るようになっています。薔薇(ばら)、憂鬱(ゆううつ)、穿鑿(せんさく)、顰蹙(ひんしゅく)など、手書きで書けますか。私も書けません。アルファベットと違い、漢字は、一目見ただけでその意味がわかるという優位性があります。この優位性を生かしていくためにも、それぞれの漢字の意味を考え、漢字を大事にしていきたいと思います。


学長  伊藤 正直