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【学長通信】歴史から疫病を考える

学長通信

昔、ふとしたきっかけでウィリアム・H・マクニール『疫病と世界史』(中公文庫、2007年)という本を購入したことがあります。この著者の『戦争の世界史』(刀水書院、2002年)や『世界史』(中央公論新社、2001年)が面白かったためで、疫病に興味があったわけではありませんでした。新型コロナウイルスの拡大が加速化しているなか、この本のことを思い出し、再読してみました。


この本の原著刊行年は1976年のことですが、1997年の改版の際に付け加えられた「序」で、マクニールは次のようなことを述べています。「序」は、主としてエイズのことを述べていますが、感染症の歴史についてふれているところを要約すると次の通りです。「この本の執筆時には、多くの医者たちは、感染症は人間の生命に深刻な影響を及ぼす力をもう持っていないと信じていた。WHOは1976年に天然痘を根絶したと宣言し、今後すべての感染症を孤立させ治療するのに十分な医学上の努力が世界的規模で実行されれば、すべての感染症を根絶させることができると考えていた。しかし、私はそうは考えなかった。76年が頂点で、以後感染症を引き起こす微生物が反撃を開始した。エイズ、インフルエンザが代表的なもので、このことは歴史的な悪疫の構造をみれば明らかである」と。


マクニールは医学者でも疫病の専門家でもありません。専門は歴史学で、長くシカゴ大学の歴史学教授でした。マクニールが、疫病に興味を持つきっかけは、なぜ、エルナン・コルテスがわずか600人に満たない部下で、数百万の民を有するアステカ帝国を征服できたのかを知りたいというところにあったようです。調べてみると、アステカ帝国を一夜にして消滅させたのは、馬と鉄砲という武力の差ではなく、コルテスらが持ち込んだ天然痘だったのでは?というところに思い至ったというのです。


「スペイン人はそれ以前に、一体いつどのようにしてこうした疫病を経験し終えていて、それがあとになって新世界に渡ったとき、あのようにうまい具合に役立つことになったのか。なぜインディオのほうでは、侵入者スペイン人を掃滅してくれるような自分たちの疫病を持っていなかったのだろうか。こうした疑問を広げていくと、16~17世紀にアメリカ大陸に生じたのと類似の現象が数多く見られることがわかる」。これがこの本を書かせた動機でした。


この本は、人類の発生から現在に至る人類史の中で、疫病と人類との関わりを検討するという壮大な試みですが、この本の独自性は、マクロ寄生とミクロ寄生という概念で、人類史を捉えようとしたところにあります。「ある生物体にとっての食物獲得の成功が、そのままその宿主にとっては、忌まわしい感染あるいは発病を意味するのである。そしてあらゆる動物が食物を他の生物に依存している」。「ミクロの寄生は、ウイルス、バクテリアなど微小な生物体で、人体の組織内に入り込み、そこで彼らの生命維持の仕組みにかなった食物を摂取する、ある種のミクロ寄生生物は重い病気を引き起こし、短時間のうちに宿主を死に至らしめるが、また宿主の体内に免疫反応を生じさせ、逆に彼らの方が殺され駆逐されてしまう場合もある。また時には、……宿主たる人間との間にもっと安定した関係を確立しているミクロ寄生生物も存在する」。「マクロ寄生生物の行動も同様に多彩を極める。人間や他の動物を捕食する際のライオンやオオカミのように、即座に宿主の生命を奪ってしまう者もいれば、宿主を不定期間生かしておく連中もいる。さらに後になって、食物生産ということが、ある共同体にとってひとつの生活形態となった時、……征服者が食物を生産者から奪い去りそれを消費することで、労働に従事する者への新しい形の寄生体となったのである」と。


こうした視点に立って、マクニールは、紀元前500年から紀元1200年までの各文明圏の交流とその結果としての疾病の伝播、紀元1200年から1500年までのモンゴル帝国の勃興とペスト伝播、紀元1500年から1700年までの新大陸の「発見」と天然痘、チフス、はしか、黄熱病の新大陸への持込み、1700年以降の医学の発展と「疫病」との闘いを、歴史的史資料の発掘を行いながら明らかにしていきます。


人類史のなかで感染症が果たしてきた役割、この視点はこれまでほとんどなく、歴史は、経済や政治・軍事、あるいは文化との関わりで語られてきたため、改めて読み直してみると本書の印象は強烈です。本書は、次のような言葉で締めくくられています。「人類の出現以前から存在した感染症は人類と同じだけ生き続けるに違いない。そしてその間、これまでもずっとそうであったように、人類の歴史の基本的なパラメーターであり、決定要因であり続けるであろう」。


「感染症が人類と同じだけ生き続ける」としたら、私たちは、これから感染症とどのように付き合っていくことになるのでしょう。一方での感染症との闘い、他方での感染症との共存、この両者を見据えつつ私たちはこれから生きていくことになるのでしょうか。この本の初版刊行以降の感染症の推移に関しては、石弘之『感染症の世界史』(角川ソフィア文庫、2018年)、日本における疾病の歴史については、酒井シヅ『病が語る日本史』(講談社学術文庫、2008年)などが、手近な参考となります。あわせて読まれるといいと思います。


学長  伊藤 正直