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【学長通信】住まいの話、まちづくりの話


2年ほど前、『人生フルーツ』という映画を観ました。元々は、テレビのドキュメンタリー・シリーズの1本で、それを劇場用に編集しなおしたものです。90分ほどの時間に、90歳と87歳の老夫婦の日々の営みが、樹木希林さんの落ち着いたナレーションとともにゆったりと映し出されていきます。


主人公の一人、90歳の津端修一さんは建築家で、雑木林に囲まれた自宅は、師のアントニン・レーモンド(フランク・ロイド・ライトの弟子で、日本で多くの建築の設計をしてきました)の自邸に倣って建てた家。天井の梁(はり)や躯体がむき出しになった30畳の広いワンルームで、食卓もベッドも見わたせます。もう一人の主人公87歳の津端英子さんは、300坪の土地に70種の野菜と50種の果実を栽培し、料理、刺繍、機(はた)織りにも日々精を出しています。ロハスというほど軽くはない、自給自足というほど泥臭くもない。過剰を避け、自然に逆らうことなく穏やかに生きる。そんな暮らしが淡々と描かれているかのようにみえます。


しかし、映像の細部に目を凝らすと、そこに、てこでも動かない強烈な個性を発見することができます。個室の全くない家そのものがそうです。雑木林の楢(なら)や樟(くぬぎ)の幹に人名を記した木札が貼り付けられていますが、これは冠婚葬祭に一切出席しなかった修一さんが、亡くなった友人をしのぶために貼り付けたものだそうです。


修一さんは、大学卒業後、レーモンド建築設計事務所を経て、1955年、日本住宅公団発足とともに公団に入社します。そして、青戸第一団地、原宿団地、多摩平団地、高根台団地、阿佐ヶ谷住宅、赤羽台団地など、数多くの団地の設計、レイアウト・プランなどを手掛けました。その頃の修一さんを知る人の回顧によれば、「当時、団地のレイアウト・プランをつくったりするのに津端さんは独創的なデザインをかなりやっていて『津端スクール』みたいなグループもできたんですよ。…でも津端さんはマイペースで人のいうことを聞かないから(笑)、一方では上の連中から恨まれたりもしてね」(都市計画コンサルタント協会『協会レビュー』2010年第7号)とあるように、若い頃からかなり頑固な建築家だったようです。


日本都市計画学会石川賞も受賞した愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンでも、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したレイアウトを主張し、禿(はげ)山となった高森山を「ドングリ作戦」として復活させようとしたといいます。しかし、完成したニュータウンは、その意図とは程遠いものとなってしまったため、1970年にこのニュータウンの一隅に自ら土地を買い、家を建て、雑木林を育てて50年の時を生きていくことになりました。このドキュメンタリーが撮影された最晩年は、伊万里市の医療福祉施設の設計草案を無償で手掛け、撮影中の2015年6月に老衰で逝去されました。


住戸プランにおける画一性と、外部空間における多様性と先駆性。日本住宅公団の設計した団地群にはこの両者が併存しています。前者は、51C型と呼ばれた基本間取りで、6畳と4畳半にDKを加えた2DK。全国各地で建設された公団住宅は、初期はすべてこの間取りでした。ステンレス流し台、水洗便所、浴室、シリンダー錠という最新設備は、住戸のなかに配置される3種の神器(電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビ)とともに、若い核家族の憧れの的となりました。後者は、独自の住棟配置やゾーン配置で、開かれた空間と公共性が、幼児の遊び場、小中学生の運動場の配置や、歩道と車道の組み合わせや、住棟間の幅の工夫として、それぞれの団地ごとに独自に多様性をもって設計されていました。


この先駆性を代表する建築家が津端修一さんでした。例えば、修一さんがリーダーとなった阿佐ヶ谷住宅のレイアウト・プランでは、「個人のものでもない、かといってパブリックな場所でもない、得体の知れない緑地のようなもの(=コモン)を、市民たちがどのようなかたちで団地の中に共有することになるのか」と、修一さんが記しています。


修一さんが、入社した日本住宅公団は、戦後の住宅難の時期に住まいを量的に供給することを目的に設立され、1955年から80年までの間に100万戸を超す集合住宅を建設しました。その後、1981年に住宅・都市整備公団と名称を変え、都市開発も視野に入れた事業に取り組むようになります。さらに1999年には都市基盤整備公団という名称に変わり、2004年には独立行政法人都市再生機構(UR)となって、現在に至っています。この名称の変遷から、仕事の内容が、住宅建設・供給から都市計画、民間デベロッパーに対する誘導支援事業へと変化してきたことがわかります。現在では、URは新規住宅建設を行わず、リノベーションや団地の改修と再生を民間と共同して行うようになっています。


少子高齢社会の進行のなかで、2040年までに全国の1800市町村のうち896市町村で人口が50%以上減少すると推計され、将来的には消滅する可能性がある(日本創成会議・人口減少問題検討分科会)ともいわれている現在、『人生フルーツ』という映画、そしてそこで描かれた津端修一・英子夫妻の暮らしは、社会・都市をどのように変えていくのか、どのような住まいとまちをつくっていくのかについて、向かうべき方向と道筋を静かに示しているようにも思いました。

 

学長  伊藤 正直