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【学長通信】お茶について


先月の「衣」に続いて、今月は「食」、というか「飲む」こと。「飲む」といってもお酒ではなくお茶の話です。北京西站(えき)から外に出ると、南北に続く馬連道という通りにぶつかります。この通りをちょっと南に下った辺りから1500mほどの間に、1200軒を超す茶城(茶専門のビル)、茶葉問屋がひしめいています。中国最大の茶取引市場ともいわれ、壮観です。専門店となっているところも多く、中国全土のお茶、さらには台湾、インド、スリランカのお茶もここで揃います。これまで、集中講義やシンポジウムで北京に滞在する際には、だいたいここに出かけ、結構まとまった量の中国茶を購入してきました。


私たちが普段飲んでいる日本茶は、緑茶かほうじ茶ですが、中国には、数百種類ともいわれるお茶が存在します。その種類はさまざまで、分類の仕方も多様です。茶葉の形態によって、散茶(葉茶)、末茶(粉茶)、餅茶(固形茶)と分ける場合もあれば、茶葉の色や香りによって分ける場合もあります。ただ、一般的には、発酵度によって分けることが普通のようです。この分け方は、概要、緑茶(不発酵茶)、白茶(弱発酵茶)、黄茶(弱後発酵茶)、青茶(半発酵茶)、紅茶(発酵茶)、黒茶(後発酵茶)の6分類です。茶畑から摘んだ生葉を素早く熱処理して酸化を止めること、すなわち発酵を行わないようにするのが不発酵茶で、ほとんどの日本茶、中国茶の緑茶がこれです。これに対して、日光や室内で乾燥させ、揺青(ヤウチン)、揉捻(ロウニェン)などを行うことによって、発酵を促進していくのが、青茶、紅茶、黒茶です。


緑茶は、日本の緑茶とほぼ同じ、龍井茶が有名です。白茶は、新芽を日干しして水分を蒸発させたもので、針のような形状をしています。シルバーチップスという名称で紅茶に混ぜたりもします。黄茶も形状は白茶に似ていますが、茶葉もお茶もはっきりとした黄色です。味も香りも軽さが特徴です。青茶は、日本で最も知られている烏龍茶がその代表で、武夷岩茶(ぶいがんちゃ)、鉄観音が有名ですが、台湾の東方美人、梨山なども知られています。さわやかな甘味と香りがあります。


紅茶も、じつは中国生まれですが、イギリスの紅茶文化の誕生とともに急速に普及しました。現在は、世界のお茶生産量のじつに70%が紅茶で、インド「ダージリン」、スリランカ「ウバ」、中国「祁門(キーモン)」が世界三大紅茶といわれています。最後の黒茶は、日本では減肥茶として知られている普洱(プーアル)茶が代表で、先に述べた餅茶(固形茶)として長期保存されたものも多くあります。かび臭いとも言われますが、なれると濃厚な熟成香が楽しめます。この他に、花茶と称されるハーブティ、例えば、茉莉花茶(ジャスミンちゃ)、菊花茶(きっかちゃ)などもあります。本当に種類が多いですね。


中国で、このようにお茶が広まったのは唐の時代とのことです。最澄や空海が、遣唐使として中国に滞在した時代です。「茶は南方の嘉木(かぼく)なり」とは喫茶の体系を立てた陸羽の言葉で、茶の原産地は、中国南部の雲南省、四川省、福建省のあたりといわれています。この言葉を、私は陳舜臣『茶の話-茶事遍路』(朝日文庫、1992年)で知りました。


陳舜臣『茶の話-茶事遍路』は、茶の文化史を主に扱っている著作ですが、それにとどまらず、茶の社会史、政治史、経済史にまで触れています。例えば、茶馬古道という言葉があります。中国の歴代王朝は、その軍事力の基礎として、北方民族から馬を手に入れるためにかなりの努力を払いました。唐代は、そのための交換手段が絹であったのに対し、宋代に入ると茶が主たる交易手段となったというのです。また、18世紀の半ば、イギリスでafternoon teaの習慣が定着するなかで、お茶の輸入は、イギリス政府財政、国際収支上の大問題となっていくことも論じています。輸入を賄うに足る財源をどう確保するかという問題です。こうして、1773年のボストン茶会事件が起こり、1840年にはアヘン戦争が起こります。前者は、アメリカの茶輸入に本国イギリスが規制をかけようとして起こった事件ですし、後者は、イギリスの経常収支入超を中国へのアヘン輸出によって相殺しようという目的で起きた戦争でした。アメリカの独立とアヘン戦争という世界史上の大事件に、茶は深いかかわりを持っていたのです。


もちろん、こうした生臭い話題が中心というわけではなく、茶文化の歴史を淡々と描いていくところに、本書の本領があります。とくに、茶をめぐる日中交流史、例えば、中国ではすたれてしまった抹茶が、日本では現在まで残り、茶道として定着していることへの言及などは、身体文化としての喫茶が、社会規範へと展開していく道筋を考えるきっかけとなりました。「日常茶飯事」という言葉もあります。生活文化としてのお茶と、「道」としてのお茶、その共通点と相違点を改めて考えてみたいと思います。


 

学長  伊藤 正直