お知らせ - 2018年

【学長通信】芸術と社会システム


今では、ネットでストリーミングすれば、世界中、どこにいても、どんな音楽も、すぐに聞くことができます。でも、20年前はそんなことはできなかったので、集中講義や調査でしばらく海外に滞在するときは、いつも1ダースほどのCDをカバンに詰め込んでいました。クラシック、ジャズ、ロックなどは、行先でもだいたい手に入るので、持参したのはもっぱら日本のポップスや歌謡曲でした。

2002年の5月から6月にかけてメキシコの大学院大学El Colegio de Mexicoで集中講義を依頼されたとき、持っていったのは井上陽水、高橋真梨子、中島みゆきなどでした。深夜に、陽水の若いころの曲、例えば「傘がない」などを聞いていると、連想が中野重治に飛びました。中野重治は戦前から戦後にかけて活躍した詩人・小説家であり、代表的なプロレタリア作家です。浮かんできたのは、彼の若いころの詩「歌」でした。この詩は次のようなものです。


お前は歌うな
お前は赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべての物憂げなものを撥(はじ)き去れ
すべての風情を濱斥(ひんせき)せよ
もっぱら正直のところを
腹の足しになるところを
胸先を突き上げて来るぎりぎりのところを歌え


この詩はもう少し続くのですが、一見、抒情を否定しているようにみえながらも、実際にはこうした形で、逆説的に、花や女性の髪の匂いや風のささやきの美しさを歌っています。陽水の「傘がない」は、これと同じ構造をもっています。若者の自殺や日本の将来を冒頭に歌いながら、しかし、それよりは彼女のところに行くための傘がないことのほうが問題だというのです。中野とは逆の形で社会との接点を提示しているといっていいでしょう。ビートルズの初期の歌も同じです。

なぜ、こんな連想が出てきたのかというと、滞在していたメキシコシティで、数多くの壁画を観たためだったような気がします。リベラ、シケイロス、オロスコらによって展開されたメキシコの壁画運動は有名で、街を歩くと、そこかしこで大きな壁画を見ることができます。メキシコ神話、スペインの侵攻と征服、メキシコの工業化と農業労働者など、メキシコ史が描かれているのですが、ちょっと珍しい題材もあります。たとえば王立宮殿の壁画、僕が滞在していた時は、ここにメキシコ政府大蔵省が入っていたのですが、そこの壁画には、資本論を脇に抱えたマルクスがいます。また、王立芸術院の壁画には、レーニンやトロツキー、第4インターナショナルがでてきます。

戦後のメキシコは、社会主義体制ではなく、資本主義体制、自由主義体制の国でした。にもかかわらず、日本で皇居や国会議事堂、国立劇場にあたるところに、これらの絵が堂々と掲げられているのです。メキシコの鷹揚(おうよう)さでしょうか、あるいは奥の深さでしょうか。これに衝撃を受けたことが、冒頭の連想につながったように思います。

実は、現在、渋谷駅のコンコースに飾られている岡本太郎の大壁画、この大壁画もメキシコで作成されたものでした。壁画運動に共感した岡本太郎が、1968年頃、メキシコまで出かけてそこで描きました。依頼主の経営悪化で、その後長く行方不明になっていたのですが、2003年にメキシコシティ郊外の資材置き場で発見され、日本に戻ってきたのです。『明日の神話』と題されたこの壁画の主題は、アメリカの水爆実験によって被爆した第五福竜丸事件だといわれています。ですから、メキシコとそんなに変わらないじゃないか、といってしまえばその通りなのですが、この絵が、ビキニの水爆実験を描いたものだと知っている人は、渋谷コンコースを通り過ぎる人たちの中でどれくらいいるでしょう。

芸術が、政治や社会との関わりなしにあり得るかどうか、あるいはどのような形で関わりを持ってきたのかについては、古来より難問ですが、あまりにも政治や社会と切り離されたところで、日々が過ぎていくようにみえる日本との違いを、メキシコで強烈に感じたものでした。

 

学長  伊藤 正直