お知らせ - 2018年

【学長通信】予測と願望と展望と


今から20年前の1998年、建設省建設政策研究センター(現、国土交通省国土交通政策研究所)というところから、「我が国経済社会の長期展望と社会資本整備のあり方 -2050年展望に関する学識者インタビュー- 」というテーマで、インタビューを受けました。何をしゃべったのかすっかり忘れていたのですが、最近、同研究所より、「20年経ったところで、中間総括をして欲しい」という要望が来ました。


ということで、記録を読み直してみると、当時は、次のような見通しを語っていました。「グローバル化が急速に進展するだろう、国際金融システムはさらに不安定化し金融危機が顕在化するかもしれない、アジア諸国なかでも中国の経済的・政治的プレゼンスが拡大していくだろう、先進国は全般的に低成長化するだろう」等々です。


これらの点は、ほぼ見通し通りの推移をたどりました。ここで、自分の予見力を誇ってもいいのですが、残念ながら、見通しを誤った部分も結構あります。「日本が国際社会に何らかの公共財」を提供しうるのではないか、「社会的なシステムのみならず、企業の生産管理、あるいは労働管理まで含めた広い意味での製造工程管理などを公共財的なものとして世界に提供できる可能性はある」のではないか、という見通しは、残念ながらはずれてしまいました。日本が「不良債権問題の解決に失敗」し「失われた20年」に突入してしまったことや、阪神淡路大震災や東日本大震災といった不意の巨大な自然災害に見舞われたことなども、その理由の一部だったでしょう。が、より大きくは、アングロ・アメリカン的な企業ガバナンスへの移行が、予想をはるかに超えて短期間で急速に進行したこと、これが大きかったと思います。もっとも、願望を予測として語ったことが、はずれた一番の理由だったかもしれません。


また、トランプ旋風やブレクジット、移民排斥とテロなど、近年のグローバル化に対する反転現象についても、十分には予見できませんでした。現在でも、長期的には、ヒト・モノ・カネ・情報のグローバル化は、不可逆的に進行するだろうと考えていますが、こうした反転現象がこれほど広汎に起こるとは、当時は考えませんでした。


高度成長期の日本で基本的理念として共有されていた「社会的再配分による相対的平等」を再構築すること、そして、それが、生産面における効率性や合理性と相乗効果を果たすような仕組みを創出することが必要なのではないでしょうか。最近の日本の巨大企業における不祥事の連続は、日本型システムの欠陥露呈というより、中途半端な市場主義的ガバナンスの導入による面の方が大きいのではないでしょうか。


もっとも、予測や見通しは当たればいいというものでもないでしょう。こうなるだろうということと、こうなって欲しいということは、当然ながら一致しませんから。望ましくない未来が予測されるとすれば、それを避けるためには何をすることが必要かも考えなくてはなりません。20年前のインタビューを読み直してみて、予測が展望として語れるような経済や社会になっていって欲しいとの思いを強くしました。