お知らせ - 2018年

【学長通信】大学で学ぶとは?教えるとは?

2018年の年初から、学長通信という形で、日頃考えていることを発信することとなりました。これまでは、前任校も含めたゼミOBOGを主な相手として、一般公開を想定しない形で、記事を書き継いできました。読んだり観たりした本・映画・展覧会などの感想、海外調査の際の出来事などが、そこでの主要な話題でした。2017年4月に学長、6月に理事長に就任し、「研究者に専念」という自己規定から離れざるを得ず、そのことに若干の感想と感慨をもちました。しかし、人間はそう簡単には変われないものですから、これまで同様、あまり肩肘を張らないで、いろいろな機会に私が感じたあれこれを書いていくことにしようと思っています。

 

第二次大戦後の1946年春に開校され、わずか4年半しか存続しなかった鎌倉アカデミアという「大学」があります。産業科、文学科、演劇科の3科からなり、教授陣には、三枝博音、服部之総、林達夫、村山知義、長田秀雄、岡邦雄、中村光夫、吉野秀雄、神西清、高見順、吉田健一、西郷信綱など、学生には、山口瞳(のち作家)、いずみ・たく(同作曲家)、前田武彦(同放送作家、タレント)、津上忠(同演出家)などがいました。この鎌倉アカデミアの第2代の学校長となった三枝博音が、就任あいさつで次のようなことを書いています。

 

これは私個人で描いていることなのだが、私たちの学園はこんなものならいいなあと思うのだ。どんなのかというと、何かしらそこに居ることが楽しいという処なのである。

私が「楽しい」というのは、楽々とした気もちになれるとか、のんびりした心もちに成れるとかいうのではない。そこでは努力もせねばならぬし、苦しみもせねばならぬだろうけれども、その雰囲気の中にいるのが好ましいという意味である。

自分が何か問題をもつときは。すぐにそこに駆けつけたい。自分が自信を失う時は、すぐに出かけて行きたい。そこでは自分の意見を取り上げてくれ、普遍化してくれる。そこでは自分の不振や自分の虚脱をとりあげてその原因を究明してくれ、自分だけのものでないことを明らかにして、新しい希望を持たしてくれる。そういう時、相手になってくれる人が先生の中にも居れば、学生の中にも居る。

喜びや悲しみや、希望や希望のなさが、そこに行けば客観的になる。そういうことによって、生活がもっと深められる。だからそこでは、自分自身の意見を自由に公明に打ち明けるということが、そこに入るパスみたいなようなものになる。……

批判力や論議の力は、万般のことに知識を持たぬとできないし、邪道に入り易い。だから、そこではすべての者が旺盛な知識欲をもつ。なんとしても、このことが第一である。第一だけれど、少しでもいやいやで勉強する傾きがあったら、すぐに反省し直す必要がある。いつかしら知識が得られているように学園ができていることが必要である。

 

こんな気持ちで書いていければいいと考えています。よろしくお願いします。

 

学長  伊藤 正直