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【学長通信】110周年を迎えて

本学は、今年創立110年を迎えます。この110年を思い、大妻コタカが私塾を開いた110年前とはどんな時代だったのかに考えが及びました。日露戦争直後の時期です。日露戦争は当時の日本の実力からいってやや無理な戦争でした。国家財政が約2億円の頃、戦費として20億円近くを要し、この戦費を調達するのに、高橋是清がロンドンで四苦八苦したのでした。戦争が終わって、この借金を返さなくてはならなくなり、このため日本は日露戦後不況と呼ばれる不況に陥りました。コタカが私塾を開いたのは、こんな最中でした。私塾を創るのに、決していい時期ではなかったのです。

 

なぜ、このような困難な状況のなかで、コタカは、私塾の設立を決意したのでしょう。それまでの日本の女子教育機関は、英米婦人による英語教育でキリスト教に基盤をおくもの、あるいは、明治政府の派遣した帰国子女によるもので、いわば社会のエリート層によるエリート女性のための教育機関でした。日本で女子中等教育が、明治政府によって公的に規定されたのは、1895(明治28)年のことで、1899(明治32)年の「高等女学校令」公布以降になって、女子中等教育機関は発展していきます。しかし、そこでも想定されていたのは中流以上の女子を対象とするものでした。1899年、時の樺山文部大臣は、高等女学校は「賢母良妻タラシムルノ素養ヲ為スニ在リ、故ニ優美高尚ノ気風、温良貞淑ノ資性ヲ涵養スルト倶ニ中人以上ノ生活ニ必須ナル学術技芸ヲ知得セシメンコトヲ要ス」と説明しています。

 

しかし、コタカの設立した私塾は、そうしたものとは大きく異なっていました。「エリート」でもなく、「中流以上の女子」でもなく、何ら特別でない、ごくごく普通の女性のための教育機関の設立、これこそがコタカが望んだものでした。厳しい不況の中、家族を支える主体に女性がなる、社会の中で自分自身を確立する、そのために何ができるかを考え続け、女性が社会に受け入れられやすい手芸・裁縫といった「技芸を身につける」ことから始めようとしたのです。本学は、創立以来「女性の自立のための女子一貫教育」を建学の精神としていますが、その「自立」の根源には、こうした若き日の大妻コタカの独自の考え方と強い意思があったと、私たちは考えています。

 

女性をめぐる社会環境は、この20年間に緩やかにではあれ大きく変化しました。「ガラスの天井」がまったく無くなったかといえばそうではありませんし、古い男女観もまだまだ残っています。しかし、日本の女性就業構造の特徴とされたM型雇用は、今、急速に解消しています。学校を出てから定年まで働き続ける女性が増えています。ただし、この裏面には、非正規雇用が2000万人を超し、その多くが女性であるという状況があります。男女の賃金格差も大きいままです。

 

このような状況を突破していくことが必要です。「女性の自立」は、まずは、性差による差別を克服するような自立といえるでしょうが、目指してほしいのはその先です。「女性の自立」が「人間としての自立」であること、自己の尊厳を守る形での自立であること、すなわち「経済的自立」は、あくまで「精神的自立」を前提としたものであること、この自立を追求し、実現して行きたい、そうしたことを実現できるような主体となることを手助けしていきたいと考えています。110周年を迎えた今年、本学は、こうした観点からのさまざまな企画、シンポジウムや事業を実施します。学外に公開している企画も沢山ありますので、機会を見つけておいでくださると幸いです。

 

学長  伊藤 正直