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【学長通信】これからの女子教育を考える

7月の学長通信にも書きましたが、本学は、今年創立110周年を迎えています。この110周年を記念して、さまざまなイベントや事業を行っていますが、本学が女子教育機関であることに鑑み、女子教育の今後の展望について改めて考えようという企画もいくつか立てられました。7月には「女子大学の可能性と未来への展望を拓く」というテーマで、津田塾大学の高橋裕子学長をお迎えしました。9月には「世界の中の日本-これからの女子教育」というテーマで、日本女子大学蟻川芳子前理事長・学長、アリソン・ビールOxford大学日本事務所代表をお迎えし、ポール・マデン駐日英国大使の祝辞、ウィル・ハットンOxford Hertford College学長のメッセージを受けました。

 

2つのシンポジウムでは、それぞれ、女子教育の理念、社会的意義と位置付け、その歴史的検証や国際比較、現在の焦点的課題、今後の展望など、数多くのことがらが語られました。私も、この2つのシンポジウムにパネリストとして参加し、女子高等教育の国際比較や労働市場における男女格差の現状について報告しました。報告した内容のうち2、3の点についてもう少し考えてみたいと思います。

 

ひとつは、世界の女子高等教育のなかでの日本の「特異性」についてです。「特異性」というと、ちょっといいすぎかもしれませんが、女子大学がこれほど大きな比重を占めている国は、世界中見回しても他にはないのです。アメリカには、seven sisters と呼ばれる有名女子大群があって、ヒラリー・クリントンもそこの卒業生じゃないか、と思われるかもしれませんが、アメリカに存在する3011の大学のうち、女子大は39校、わずか1%に過ぎないのです。お隣の韓国も229の大学中、女子大はわずか7校です。これに対して、わが国では、全国777校の4年制国公私大中、女子大は77校、10%にも達しています。

 

アメリカでも1960年代には200前後の女子大が存在していました。1970年代の第2波フェミニズムの高揚とその下での共学化の進展が、女子大学の意義の再検討を要請したのですが、seven sistersのうち、Vassarが共学化し、RadcliffeがHarvard に吸収され残ったのは5大学でした。この動きは、じつはIvy Leagueの女学生受入れと対応していました。これらの大学の共学化は、Yale、Princetonが1969年、Dartmouthが1972年、 Harvardが1977年、Columbiaが1983年と著しく遅かったのです。イギリスで、1868年にLondon大学に9人の女性が入学し、1920年にOxford大学で、女性が正式の大学生として入学が認められたことと比べても、男女平等の国と考えられているアメリカで、いかに共学化が遅れたかがわかると思います。

 

これに対し、日本では、戦後新制大学令の公布とともに女子大学が次々に誕生し、特に高度成長期に女子大が急増して(1960年32校→1969年82校)、現在に至っています。この背景は、いろいろなことが考えられますが、そのひとつに、日本特有の労働市場の構造や、それに対応した家族認識があったと思われます。戦後の歴史の中で、日本の家族構造は、「三世帯同居→核家族→家族形態の多様化」という推移を辿ってきましたし、それとの関係で、稼得モデルも、「男性稼ぎ主モデル→共働きモデル1(家計補充型)→共働きモデル2(フルタイム型)→共働きモデル3(正規・非正規混在型)」と変転を遂げてきました。日本の女子大学の大きな比重は、この高度成長期の労働市場、稼得モデルに適合的であったためと考えることができます。

 

かつて、第2波フェミニズムの嵐の中で、seven sistersは、女子大の存在意義として次の3点を指摘していました。①女性がリーダーシップを獲得できる環境の提供、②ロール・モデルの提供、③役割達成における成功例の提供。先進諸国の中で、突出してジェンダー・ギャップが大きいといわれるわが国においては、この3点の意義はなお有効といえるでしょう。しかし、他方、高度成長期の労働市場構造や家族モデルが大きく変転している現在、女子大学の存在意義については、改めて検討し直すことが必要となっていることも事実です。110周年を契機として、自分たちの存在意義を再確認したいと考えています。

 

学長  伊藤 正直