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【学長通信】「女性の自立」ということ

「女性の自立」という言葉がでてくると、いつも頭をよぎる詩があります。

 

もはや

できあいの思想には倚りかかりたくない

もはや

できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや

できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや

いかなる権威にも倚りかかりたくはない

ながく生きて

心底学んだのはそれぐらい

じぶんの耳目

じぶんの二本足のみで立っていて

なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば

それは

椅子の背もたれだけ

 

1999年に発表されたもので、作者は、茨木のり子、73歳の時の作です。読んでわかるように、「女性の自立」を主題にしているわけではまったくないのですが、求心的でありながらきちんと外に開かれた姿勢、自分と向き合うことが社会と向き合うことになるという信念、こういったものが、この詩から湧き上がってきて、読者に「自立」の意味を、改めて考えさせます。最後の3行が、「いつも立ち続けている訳にはいかないわよね」という自己省察に戻って、この詩を貫く厳しさを、やわらかく包んでいるところが、「女性の自立」を連想させるのかもしれません。

 

「女性の自立」は、さまざまな文脈で語られてきましたし、語ることができますが、前提となっているのは、やはり、経済的自立でしょうか。茨木も、自身の青春期を回想するなかで、次のように記しています。「父は私を薬学専門学校へ進めるつもりで、私が頼んだわけではなく、なぜか幼い頃からそのように私の針路は決まっていた。父には今で言う『女の自立』という考えがはっきりと在ったのである。女の幸せが男次第で決まること、依存していた男性との離別、死別で、女性が見るも哀れな境遇に陥ってしまうこと、それらを不甲斐ないとする考えがあって、『女もまた特殊な資格を身につけて、一人でも生き抜いていけるだけの力を持たねばならぬ』という持論を折にふれて聞かされてきた」。

 

こうして、父の敷いたレールに乗って、茨木は、薬学専門学校へ進学します。しかし、有機化学、無機化学など、理数系の科目を全く受けつけず、敗戦の翌年、繰り上げ卒業で薬剤師の資格を得たものの、自らを恥じて、その資格を使うことはありませんでした。こうした回り道をたどって、茨木は詩人(本人の弁では「物書き」)としての道を選び取っていくことになります。

 

人は、経済的基盤があってこそ自立しうるものであることは確かですが、経済的自立を支えるもの、その前提となるものは、精神の領域における自立に他なりません。いくらお金があっても、力があっても、それに振り回されては、「金銭の奴隷」、「権力の奴隷」になってしまいます。「折にふれて聞かされてきた」父親の持論は、なによりも「精神の自立」として、茨木の身体の芯に埋め込まれたといえるのではないでしょうか。日常の言葉を使いながら、勁く、清冽で、向日的な茨木の詩は、『茨木のり子集 言の葉』全3巻(ちくま文庫)で読むことができます。『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)とあわせ、手に取って欲しいと思います。

 

学長  伊藤 正直