お知らせ - 2011年

民俗学者・瀬川清子元教授にスポット 秋田放送 ,

テレビ画面(瀬川清子さん) 大妻女子大学元教授で、民俗学者・柳田國男に師事して女性民俗を研究した瀬川清子(本名キヨ、1895~1984)に先ごろ秋田放送がスポットを当てました。9月17日午後1時30分から55分間にわたって特別番組「ふるさと秋田再発見シリーズ・秋田人物伝第3回『瀬川清子』」をテレビ放送し、清子研究家の斎藤長八さんに谷桐子アナウンサーが聞く形で、関係の写真を交えながら生涯をたどりました=写真は同番組から

清子は、秋田・鹿角市生まれ。22歳の結婚後、女性が高等教育を受けることが珍しく男女別学が当たり前だった時代に、女子大を除く私立大では最も早く女性に教育の門戸を開いた東洋大に1922~25年に学びました。その後(旧制)第一東京市立中学(都立九段高校を経て現千代田区立九段中等教育学校)の教師を務める傍ら33年、石川・能登半島沖の孤島・舳倉島(へぐらじま)の海女と寝食を共にしてまとめた「舳倉の海女」が柳田國男の目にとまり、以後も日本全国を巡って地方の女性の暮らし・文化を採集し、女性民俗学発展に貢献しました。

本学の記録によると、1926~44年第一東京市立中学で国語・漢文を教え、44年(旧制)大妻女子専門学校(現大妻女子大)非常勤講師就任、50~55年に学制改革で大妻女子大非常勤講師、55~60年専任講師、60~74年教授。78歳まで本学に勤めたことになります。併せて「34年5月から柳田に師事、47年民俗学研究所研究員」と記しています。

家政学部食物学科(食物学専攻)に所属して「食物史」を講じ、いま手に入る著書には『食生活の歴史』(講談社学術文庫)などがありますが、清子の授業を受けたことがある上田榮子名誉教授に伺うと、「理解しやすいように身近な例を挙げて、ゆっくりとお話しになった」「1945年の東京大空襲で校舎が焼けるまでは、旧鉄筋校舎の2階廊下に、先生が集めた日用品、調理用品などがたくさん納められていた」とのことです。