お知らせ - 2011年

スキー部OG会から壁時計 寄贈尽力の沼澤さんに聞く

時計全景と沼澤さん この夏休みの8月、大妻女子大学千代田キャンパス大学校舎地下1階アトリウム(学生ホール)北東の非常口の上に、針と5分間隔の点状インデックスの赤が印象的な壁時計=写真=が設置されました。直径70センチ、特注アナログ電波時計、シチズンTIC社製。時計の下には「寄贈 大妻女子大学スキー部OG会 平成23年8月」と記された縦9センチ、横28センチ大の金属銘盤も取り付けられました。
 9月26日、設置状況を視察にいらしたスキー部OGで、寄贈にご尽力くださった沼澤潤子さん(写真右肩、1970年家政学部家政学科卒、旧姓徳永)にインタビューしました。

スキー部存在の証しに

 ――どういうことで寄贈してくださったのですか。

 沼澤 大妻女子大スキー部OG会は400人近い会員を擁して、70年4月から昨年まで活動してきました。肝心のスキー部の方は、近年、スキーブームも去り、学生の運動部敬遠という意識の変化にも逆らえず、入部者ゼロが続いて2009年4月休部、10年3月末で廃部となり、OG会存続の意義も見いだせなくなったので、残念ながら10年11月28日の総会を最後にOG会を解散することにしました。
 でも大妻にスキー部と同OG会があった証しとして、蓄えられていたOG会費で時計を寄贈することにしました。時計にしたのは学生のみなさんに身近で役立つものをという思いからで、今後、親しんでもらえたら幸いです。

 ――沼澤さんはスキー部創設メンバーのお一人でOG会代表を務められました。

 沼澤 1966年12月に大学主催のスキースクールが長野県赤倉で行われ、多くの学生が参加したのですが、「社会学」の故・鈴木真一先生(一般教養等を経て社会情報学部教授)が音頭を取られて、学生12人を集め、翌67年3月、スキー同好会として発足しました。
 当時は、他大男子学生をコーチとして呼ぶのはご法度で、やむなくプロスキーヤーの植木毅さんを招いて練習に励みました。継続した実績がないと同好会から正式な部への昇格は認められない時代でしたが、何度もかけあって早くも68年4月、部に昇格できました。
 その後はスキーブームに乗って多くの部員が集まり、瞬く間に40人乗りのバスを連ねてスキー合宿を行うほどの大きな部に成長しました。60人を超す入部者があった年もあり、総勢200人近い部員が在籍することもありました。
 70年4月、卒業後も親睦を深め、スキー技術を向上させ、後輩を指導していくのを目的にOG会を発足させました。

 ――当時のスキー部の活動はどんなものでしたか。

 沼澤 スキー初心者から雪国出身で本格的に競技スキーヤーとして大会で歴戦するつわものまで、さまざまなレベルの部員がいましたが、みんな仲良く活動していましたね。
 オフシーズンの夏も合宿を行い、栄養士の勉強をする先輩がバランスのとれた食事を作ってくださる中で、走り込みをするなどトレーニングは欠かしませんでした。冬のスキーシーズン到来でトレーニングの成果が現れ、コーチに褒められた時はとてもうれしかった。合宿を締めくくるキャンプファイヤーも思い出深いです。

 ――今もスキーを続けていらっしゃいますか。

 沼澤 筋肉が落ちて、さすがにもう(笑)。でも若いころは、息子を足の間に入れて一緒に滑って教えましたし、自分がコブ斜面を降りているところを見せて、「お母さん、すごい」と驚かれたこともありました。

 沼澤 筋肉が落ちて、さすがにもう(笑)。でも若いころは、息子を足の間に入れて一緒に滑って教えましたし、自分がコブ斜面を降りているところを見せて、「お母さん、すごい」と驚かれたこともありました。

 沼澤 私は部の創設に深くかかわったので、おかげで組織づくりやマネジメントまで学ぶことができました。大学との折衝、顧問の先生や部員への伝達の仕方など試行錯誤の連続でしたが、これらの経験は卒業していろいろな仕事をするうえでとても役立ちました。
 OG会で現役部員の学生が「大学側はこう言っているのですが…」「先生がどう考えているのか…」などとちょっと腰が引けた話し方をしているのを聞いて、コミュニケーション力が不足しているのではないかと感じたことがありました。メールで済まさずに、もっと直接に対話することを心がけてほしいですね。

 ――1990年にアトリウム中央に設置された時計台が学生ホール座席増のため、この夏休みに撤去=下写真=されたのと、ちょうど入れ替わるように壁時計が寄贈されました。どうもありがとうございました。

アトリウム変化写真